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1939. 感性を開く理論学習


また一夜が明け、新しい一日を迎えた。今朝はここ数日間よりも幾分遅く、五時半過ぎに起床した。

これはおそらく、昨夜少しばかり普段の就寝時間を過ぎる時間帯まで読書をしていたからだろう。今日も集中的な読書をし、それに並行して作曲実践を行っていく。

実家に置いていた和書の哲学書を読み続け、読書と作曲を繰り返し行っていく形で、今日も内面世界を歩いて行くことになるだろう。 日本に一時帰国する直前あたりから、いったん自分の曲を作ることを熱心に行うよりも、手を動かしながら作曲理論を学ぶことにしている。ほとんど理論のない状態、あるいは学びたての理論をすぐさま活用してみるという形でこれまで20曲ほど作ってみた。

今直面しているハーモニーの課題は、これまでの課題よりも大きなものであり、それを実践だけを通じて解決することはできないだろうと判断したため、理論を集中的に学ぶ決意をした。理論というのは不思議なもので、当然ながら実践を深めてくれるのだが、感性までも開いてくれるかのようだ。

作曲に関して言えば、作曲理論を探究することは、曲作りにおける感性を開く。それのみならず、既存の曲を聴く際や分析をする際にも、鑑賞的・分析的な感性さえも開いてくれる。

作曲理論が自分の中にあることによって、曲を聴きながら、作曲者の意図や思想などが見えてくる。楽譜を分析する時も同様に、楽譜から作曲者が適用した理論が浮かび上がったり、楽譜の中に作曲者の思想を見て取ることができるようになってくる。

理論というのはつくづく奥深いものだと思う。時折、「理論を学ぶことによって感性が滞ってしまう」というような発言を耳にするが、それはおそらく、理論の価値を理解しておらず、理論の学び方を誤った人の言葉だろう。

とりわけ、理論の学び方に関して言えば、理論のみならず、学ぶというのは徹頭徹尾、身体と存在を通じてなされるものであり、そのような形でなされる学びが感性を閉ざすということは本質的にありえないことである。

むしろ、理論というものを身体と存在を通じて探究していけばいくほどに、身体と存在が開かれ、感性が磨かれるはずなのだ。仮に理論を学んでそのような現象が起きなければ、自身の理論との向き合い方を一度考えた方がいいかもしれない。 瀬戸内海は、まだ夜明け前の表情を見せている。これから少しずつ夜が明けていく。

今日もまた、読みながら書き、読みながら作るという日になるだろう。2017/12/28(木)06:31

No.584: To the Firmament

Have you ever had a feeling that you want to dissolve into the blue sky or have you experienced uniting with it without any intentions? The Inland Sea of Japan, which is very close to my parents’ place, is shining under the beautiful firmament. 08:38, Wednesday, 1/3/2018

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