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1925.『ゴッホ:最後の手紙』


昨日は一日中動き回っていたため、日記を書き留めておく余裕がなかった。今朝は五時に起床し、ようやく昨日についての日記を書き留めておこうという気持ちになっている。

昨日はまず最初に、上野のTOHOシネマズに行き、『ゴッホ:最後の手紙』を鑑賞した。公開されてからすでに時間が経っているためか、館内で入場の放送があった後、すぐに上映ルームに向かうとそこには誰もいなかった。

だだっ広い上映ルームに私は一番乗りとなった。スクリーンを真正面に眺めることのできる中段の席を確保し、しばらく席に座っていると、少しずつ客が入ってきた。

ネクタイを締めたサラリーマン風の中年男性もちらほら見られ、金曜日の朝九時から仕事をすることなく映画鑑賞をするというというのは、とても真っ当かつ関心させられることだと思った。

しかも映画の内容がゴッホの死の謎に迫り、芸術家として生を燃焼させたゴッホの生き様に関するものであるから、仕事の合間にこうした映画を見ることのできる心のゆとりと感性は持ってしかるべきだと思う。

そのようなことをぼんやりと考えていると、上映が始まった。この作品は期待通り、いや期待している以上の内容であった。

総勢125人名の画家たちが作った油絵が動くという新しい感覚の作品であり、斬新な映画体験がこの作品へと深く私を引き込んで行った。この作品の外形をいくらなぞっても意味はないであろう。

とにかく私はこの作品に感動していた。どうやらそうした感動を味わっていたのは私だけではなかったようだ。

その証拠に、この作品のエンドロールが終わった後、その場にいた全員が妙な静寂に陥っていたからだ。この作品を見てすぐに外の世界に戻ることが随分とためらわれた。

良質な映画というのは、私たちに非日常体験をもたらす。そのようなことを思わずにはいられない。 私は随分とゴッホの生き様に肩入れをしているように思う。というのも、私は自分の生き方をオランダ生まれのこの画家に自然と投影してしまうからである。

28歳から筆を取り、その後37歳で亡くなるまでの9年間を一心不乱に絵画創作に打ち込んだゴッホ。この世界に産み落とした800にも及ぶ作品のうち、生前中に売れたのはたったの一作品であった。

早朝の八時から夕方の五時まで絵画を描き、夜は弟のテオに向けた手紙を書き続けた。真の孤独さの中でこのような生活を毎日送り続けていたゴッホ。

今の私にとって、ゴッホはあまりにも大きな存在であるがゆえに、ゴッホについて文章を書くことがままならない。いやその理由は、ゴッホについて文章を書くということが自分について文章を書くことを意味しているからかもしれない。

映画館を後にした私は、自分の中で起こっているゴッホ体験と今後どのように向き合っていけばいいのだろうか、と考えを巡らせていた。

上野の空は冬晴れであった。私は空だけを、空の向こう側だけを眺めていたい気持ちだった。2017/12/23(土)06:21

No.570: Curtain of Light

I’m currently staying at my parent’s place in Yamaguchi prefecture, which is located in the west of Japan.

While walking on the beach after lunch, I thought this place embodied a concealed aspect of beautiful Japan.

Probably, foreigners don’t——or cannot——recognize it because this place is not on a guidebook for travelers.

I came across a beautiful “curtain of light” from the sky. The sea and clouds were glorified by the halo.

I felt as if I were in a museum of nature. 15:44, Sunday, 12/31/2017

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