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1887. 人生最後の瞬間の自己との邂逅


昨夜、最後の砦について考えていた。仮にこの世界の他の全ての人たちがある一つの同じ方向に向かって歩き出したとしても、私はその反対側に向かって歩かなければならないと思った。

これは天の邪鬼のような発想から生まれたわけでは決してなく、自他に対して私ができるのはそれぐらいしかないと思われたのである。

この世界は、ある一つの極の対極があるから成り立っている。対極がなければ、対立や葛藤からの均衡を通じた発展はない。

人間であろうとし、人間として生きることの意味が何なのかを突き詰めた挙句、この世界の他の全ての人たちが向かわない生き方を採用することは道理にかなっており、この世界に対して私ができる唯一の貢献はそれしかないように思われた。

一本道。自らが歩む過程の中で、他者が選ばない一本道が自然と生まれる。私はその上を紆余曲折しながら歩いていくしかないのだと思う。 この点については何度も何度も繰り返し書いていかなければならない。人間が人間として生きることは何かを愚直に問い、「問いからの問い返しの問い」に愚直に従いながら生きることである。

社会の価値観も自分の価値観すらも一切関係ない。「問いから生まれる問いへの問い」に対する自らの自発的な行動についていく形で、私は生きて行く。それしかできない。 雪の降る景色を眺めながら、昨夜もまた、今年の三月に訪れた、ザルツブルグでの啓示について思い返していた。ザルツブルグのとある横断歩道で得た啓示。

国際非線形ダイナミクスの学会を終えた夜、科学者としての仕事をしていることへの大きな充実感を私は感じていた。私はホテルの自室で、まさか自分が科学者になるとは思ってもおらず、人生の不思議さに想いを馳せていた。

学会を終えた翌日の朝、ホテルを出発した私は、ザルツブルグの中央駅に向かっていた。私は、ザルツァハ川を越えたところにある横断歩道に捕まった。

信号が変わるのをしばらく待ち、青に変わって一歩を踏み出した瞬間、自分が作曲家「である」ことに突然気づいた。「自分は作曲家なのだ・・・」という気づきに、私は自分でも驚き、少しばかり呆然としていた。

驚嘆から生まれる笑みが自然とこぼれる。何一つ楽器の演奏経験のない私は、自分がピアノ曲だけを作る作曲家であることにその時気づいたのである。

そこからまた、私の人生が新しく始まった。哲学的な探究と科学的な探究、そして、とりわけ音楽を中心とした芸術と一生涯を通じて寄り添いながら生きることをその時誓った。 「作曲家になろう」という未来形ではなく、「自分は作曲家である」という現在形の言葉がなぜ降りてきたのだろうか。昨夜はそれについて少しばかり考えていた。

未来形ではなかった端的な理由は、その言葉を発したのは人生の最後の日の自分だったからだろう。今から90年後の人生最後の自分がそのように述べたのだ。

この瞬間に絶えず息づいている未来の自分、人生最後の瞬間の自分がそのように述べたのであれば、現在形の形を取ったとしても何ら不思議はない。

ザルツブルグの横断歩道で、人生を終える最後の日の自分がその瞬間に立ち現れたのであれば、その時の自分が作曲家「である」と認識されても何らおかしなことではないだろう。

哲学、科学、音楽。それらを通じた途切れることのない創造行為を今日も行う。

バッハの前奏曲第9番が、本日40回目の始まりを告げた。自己が完全なまでに、有意味な差異を内包した反復となり、その反復として人生最後の日まで歩いていく。2017/12/10(日)06:08 No.532: Gut Feeling

I want to compose music based on my father’s poems someday.

Although it is a causal remark, I feel that it will be significantly important in my life.

This notion comes from my gut feeling. 21:53, Thursday, 12/14/2017

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