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1884. 目覚め:芸術を通じた人間発達と教育の探究


結局、日々自分が従事している学術研究というのは説明行為に過ぎず、学術研究の価値は多大なものでありながらも、それより重要なのは生きた体験だということに気づかされる。

私は人生の舵を大きく切り、これから芸術を通じた人間発達、及び芸術教育に関する研究をすることに決めたが、芸術行為の中に絶えずあることが大切だ。外面からの記述と内面を通じた直接体験の違いは極めて大きい。

両者は共に重要であり、どちらかに偏ってはもちろんならない。しかしながら私は、内面を通じた体験をより大切に生きたいと思う。そこに自分の生の固有性が宿るからである。

芸術活動を外側から眺めるような姿勢ではなく、それよりも、実際に自分が芸術活動の参加者になって、直接体験を通じて芸術を掴み、自らの存在の根源を掴んでいくようにしたい。私の関心は今、芸術を通じた人間発達と芸術教育に向かっているのは知っている。

しかしながら、自らが絶えず芸術活動に従事しているということが何にもまして大切なのだと思う。それを忘れてはならない。

芸術への関心。そこに向かった理由については、今は多くを述べることができない。

文字どおり、自分の中で何も整理されておらず、他者に伝わる形でそれを表現することができないのだ。だが、一つだけ言えることがある。

私が芸術へ大きな関心を持った理由は、「このような時代だから」ということに尽きるかもしれない。こうした時代だからこそ、芸術を通じた人間発達と教育を探究してみたいのだ。

そして何より、私自身の存在がもう、芸術の炎の中で溶けてしまいそうなのだ。私は今後も、科学的探究と哲学的な探究を続けていく。

しかし、それだけの範疇に留まって生きることなどもはやできないのだ。そこに芸術行為が加わり、芸術探究が加わった。もうそれらを離さない。 今朝方、芸術を通じた人間性の回復について少しばかり夢想をしていた。とりわけ、芸術を通じて家族や人との絆が増すことを願ってやまない自分がそこにいた。

なぜだか私は、この世界に存在する家族が美術館に一緒に行ったり、音楽を一緒に聞きに行く姿を想像していた。そして、そうした鑑賞行為のみならず、家族が一緒になって絵を描いたり、一緒になって作曲をしている姿を想像していた。

人と共に行う鑑賞行為と創作行為がそこにあった。こんな時代からこそ、そうした時間が家族の中に少しでもあってほしいと強く願う。

こんな時代からこそ、私は芸術を通じた人間発達の探究に目覚め、日々自らが創作行為に打ち込むことになったのではないか、と思うのである。芸術には何かがあるのだ。

人間性を回復させ、人間を育んでいく何かがきっとそこにあるのだ。2017/12/9(土)10:09

No.529: Imitation of Exemplars

Great previous piano works are exemplary for my music composition.

They play a scaffolding role to solidify my composition skills.

I think that I will concentrate on imitating those exemplars for at least four years.

The accumulation of the patterns of beautiful piano works would lead me to the place that I cannot imagine now. 15:03, Thursday, 12/14/2017

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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