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1883. 意識的な鍛錬とゆっくりと眺めることの効用


今朝、気づかないうちに、バッハの前奏曲第9番を150回ほど繰り返し聴いていることに気づいた。この曲の何かに取り憑かれたかのように、グレン・グールドの演奏するこの曲を延々と繰り返し聴いていた。

私は本当に繰り返しが好きなのだと思う。それも単なる繰り返しではなく、絶えず差異を内包する有意味な繰り返しが好きなのだ。

絶えず差異を内包する有意味な繰り返しとは、私たちの日々に他ならないのではないだろうか。本来、私たちの人生における毎日は、絶えず差異を内包した有意味なものなのだ。 早朝、激しい雪のつぶてが空から降ってきた。それが窓ガラスにぶつかる音は小刻みであり、軽快なリズムを刻んでいた。

バッハの前奏曲から一旦離れ、今度はグリーグの曲を聴くことにした。一体どれだけ優しい音色を生み出した作曲家なのだろうかと思わずにはいられないほどに、グリーグの優しい調べに引き込まれていった。

現在私は、グリーグの叙情曲集を最初から順番に分析することを行っている。午前中に四曲ほどの分析を終えた。

つくづく、曲を聴き流すのではなく、楽譜を目で追いながら曲を聴き、そして楽譜に対して自分なりの意味付けを行ってみることがいかに有益かを知る。これは外国語のリスニングと全く同じであり、楽曲を意識することなく聞き流していても、その曲の持つ意味を深く理解することなどできはしない。

米国で生活を始めた当初、英語を聞き流すことによってリスニング力を高めようと思ったが、それは全く効果がなかった。楽曲を理解するためには、意識的な鍛錬が必要であり、その鍛錬の成果が結果として無意識の次元に浸透していくのである。

無意識に行う鍛錬など存在せず、それは単なる惰性による無意味な繰り返しである。意識的な鍛錬の末に、結果としてそれが無意識の次元における鍛錬を誘発していた、ということならありえる。

だが、出発点を無意識の鍛錬に置いては決してならないのだと思う。それは私が、過去に無意識に行う鍛錬から始めようとして、結局何も身につかなかった経験から言えることである。 とにかく私は、日々の作曲実践に並行して、優れた楽譜から範を得る実践を続けていく必要がある。知らず知らずのうちに、書斎のソファの上には、多くの作曲家の楽譜が積み上げられるようになった。

オランダで生活をしているうちに、それらの楽譜の全曲に少なくとも一回は目を通す。つまり、それらの全曲に対して、意識的に楽譜を眺めるということを行う。

今朝方、ある教育研究者が「ゆっくりと眺めることの効用」について述べている記事を見つけた。その研究者は主に、アートを対象に持論を展開していたが、「ゆっくりと眺める」という行為は、アートのみならず、音楽においても極めて重要なことではないかと思う。

とかく時間の流れが速いこの現代社会において、芸術対象をゆっくりと味合うことの意義は計り知れない。また、それは芸術対象のみならず、そこから拡張させて、日常の諸々の現象に対しても適用されるべき発想かつ実践だと思うのだ。 今日もゆっくりと自らの探究と向き合い、生起する諸々の現象一つ一つを立ち止まってゆっくりと味わうようなゆとりを持ちたいものである。2017/12/9(土)09:53

No.528: Piano Works as “Scriptures” and “Sculptures”

I hope to compose music someday that can disclose and share the hidden “scriptures” and “sculptures” of transcendental beauty in our life.

I am a sculptor as well as a composer.

The sunny clear blue sky is expanding in front of my eyes at this moment.

It embodies both ephemeral and eternal aspects of this reality. 13:21, Thursday, 12/14/2017

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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