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1878. 此岸から彼岸へ


雨音が激しくなり、今日も天気が優れないことを知る。時刻は七時を回ったが、相変わらず外は闇に包まれている。

闇の中、雨が書斎の窓ガラスにぶつかると音と、時折車が通りを走る音が聞こえる。先ほど私は、昨夜見た夢について、その内容を覚えている範囲で書き留めていた。

あの夢の中心テーマは一体何だったのだろうか。私は運河を越えて、対岸に向かおうとしていた。なぜなら、向こう岸に私の目的地である実家があったからだ。

しかし、先ほどの日記に書き留めていたように、夢の中の私は流れの激しい運河を越えていく手段がなかった。厳密には、不思議な浮き輪を体に巻きながら空を飛んでいくことができたのだが、その浮き輪が途中で機能しなくなる恐れがあり、結局対岸に向かうことを躊躇していたのだ。

しばらく対岸を眺めた後、私は来た道を戻り、再び無人のバスに乗り込んだ。だが、結局そのバスも対岸に向かって走っておらず、私はまた同じ場所でバスを降りることになった。

あのバスはどうやら、同じ道をぐるぐると回り、乗客をあちら側の岸に連れて行くことを目的にしていないようだった。人を飲み込むような激しい流れの運河、対岸、誰も人のいない奇妙なバス。

私はそれらについて思いを巡らせていると、ある大きな気づきを得た。どうやら私はあちらの世界、つまり彼岸に向かおうとしていたようだが、結局それを果たすことができなかったのだと知る。

夢の中で、こちらの岸からあちらの岸を眺めている時、確かにあちらの岸はこちらの岸とは少しばかり違う印象を放っていた。対岸は彼岸を象徴していたのだ。

では、あの流れの速い渦潮は何を象徴していたのだろうか。そもそも、私がこちら側の岸の先端に到着した時、突然に潮が満ち始めたのは不思議な現象だった。

潮が満ちるというのは、この世界の人間の欲望の増加を表しているように思えなくもない。潮が満ちるというのは、この現代社会で生きる人間たちの欲望の膨張であり、人を丸呑みにするようなあの激しい流れは、現代人の肥大化した欲望の渦だったのだ。

こちら側の岸に立ち、激しい渦潮を眺めながら、私は暗澹たる気持ちになっていたことを思い出す。あの渦潮は、この現代社会の深層に息づいている、目には見えない人間の欲望だったのだ。

対岸に向かう別の手段を考えながら、私は来た道を引き返していた。そこで見た、日本人と中国人の子供たちが仲良く遊んでいる姿は、また別のことを象徴しているように思えた。

この世界には、目には見えない巨大な欲望の渦がある一方で、そうした渦の存在に全く気づかない、純粋無垢な人間がいるのだ。子供たちが無邪気に遊ぶ砂浜の少し向こう側には、欲望で渦巻くあの激しい流れの運河が待っていた。

そのようなことを考えていると、不気味な旋律が聞こえてくるかのようである。結局私は、あの場所にやってきた際に使ったバスに乗って、対岸に行こうとしていた。

だが、あのバスは対岸まで走っていなかった。それが何を象徴していたかというと、それは此岸の中で生き続ける私を象徴しており、あのバスが旋回していたように、此岸をさまよう私がこの世界にいることを象徴していた。

あちらの世界、つまり彼岸に向かわなかった私の選択は正しいものだったのかを改めて考えている。そのようなことを今更考えても仕方ないかもしれないが、有無を言わせずそこに考えが向かっていく何かがある。

しかしながら、自らの選択の正しさを考えていく手立てや観点が一向に見つからない。人間の欲望が渦巻く流れを超えて、彼岸に行くことは、私の思考を寄せ付けない、超越した何かが関与しているようだ。

欲望の渦巻くこの世界を日々生きている中で、乗車したバスが再び「ヴァン・ゴッホ通り」で停車したことの意味は何だったのだろうか。もしかすると、ヴァン・ゴッホ通りは、此岸と彼岸をつなぎ得る役目を果たしており、私はまだその道の本質を理解していないのではないかと思った。

ここには二つの偶然が関与している。一つは、私は先日、ゴッホの作品を数多く所蔵しているクレラー・ミュラー美術館に足を運び、その後、全六巻にわたるゴッホの手紙を購入したことだ。

ヴァン・ゴッホ通りで二回停車したことは、ゴッホの思想と生き様と向き合い、そこから彼岸への足がかりを見つけていくことを示しているように思えて仕方ない。また、二つ目の偶然は、現在私が住んでいる通りの一つ向こうの通りは、「ヴァン・ゴッホ通り」という名前なのだ。

現実世界の中で、ヴァン・ゴッホ通りはすぐ近くの場所にある。夢の中に現れたヴァン・ゴッホ通りは、自分の道は己の中にあり、その道を歩んでいくことが彼岸への唯一の道であることを伝えているように思えた。

夢の中のあの時、私が空を飛んで彼岸に向かおうとしなかったのは、それは結局不可能な試みだからであって、この現実世界の自分の道を自らの足で一歩一歩歩いていくことが、彼岸に到着する唯一の手段だからだったのだ。

彼岸への道、それは此岸の中にある自分の道でしかない。今日の一歩は、彼岸への一歩になるだろうか。

それが自分の道の上の一歩であれば、必ず彼岸への一歩となる。2017/12/8(金)07:53

No.523: Fourth Master’s Degree and Two Doctoral Degrees

It may sound a little bit crazy, I seriously think that I will obtain my fourth master’s degree and then go to a doctoral degree.

I have to appreciate my financial security. I think that it is bestowed upon me from something beyond me, which can be called a gift from the universe.

By virtue of the gift, I can concentrate myself on what I want to do.

All I want to do is just keep diaries and compose diary-like music.

After my fourth master’s degree, I will compete a doctoral degree before I am forty.

After obtaining it, I seriously plan to pursue a bachelor degree about music that specializes in composition.

Then, I may go to my second doctoral degree about music composition somewhere in the world.

I will be around fifty years old when I obtain the second doctoral degree, which is not old at all but quite young to fully relish the rest of my life. 16:53, Tuesday, 12/12/2017

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