今朝は五時に起床し、五時半から仕事を開始した。今日も昨日に引き続き、ジョン・デューイの全集を読み、今日中に第一巻の一読目を完了させる。
デューイの全集は、今日から教育哲学の章に入る。昨日読んでいた章はどちらかというと、デューイが多大な影響を受けた、チャールズ・サンダース・パースやウィリアム・ジェームズといった哲学者たちの思想に言及しながら、プラグマティムに関する論考を展開していくものだった。
今日からは、ある意味、私が本書を読む意味の一つに掲げていた、デューイの教育哲学の章となる。今日もデューイから様々な示唆を得ることになるだろう。
デューイの哲学書に並行する形で、今日も作曲実践を進めていく。明日こそ例外的に講義があるが、今週は大学が休みの期間であり、この期間は随分と作曲の実践に打ち込むことができている。
二週間後から始まる冬休みの期間において、一旦学術研究から離れ、その期間の時間の大部分は作曲実践に充て、幾分の時間を和書を読むことに充てたい。 昨日は改めて、いつか音楽に関する本格的な研究に着手したいと思った。今行っている研究と並行する形でそれを行ってもいいが、もしかすると音楽の研究だけに特化する時期があっていいのかもしれないと思っている。
音楽研究をするための科学的な手法に関する理解と技術は随分と高まり、あとは美学の観点が欠かせない。自分が行おうとしている音楽研究には、複雑性科学、システム科学、ネットワーク科学の発想や手法を活用しよと思っているが、それらに関しては現在の研究を進めていく過程の中で理解と技術が徐々に高まりつつあるのを実感している。
現在の研究に欠けているのは、より哲学的なアプローチであり、とりわけ美学の領域には強い関心を示している。美学への関心の芽は随分と前から生まれていたものの、本格的な探究には乗り出していない。
美学への関心の高まりを見るにつけ、そろそろ美学を探究する時期に差し掛かったのかもしれないと思う。理想的には、各作曲家の美意識の違いについての比較研究を行いながら、彼らの作曲理論と作曲技術の発達に関する研究を行っていきたい。 一昨日、研究グループのミーティングが終わった後に、グループメンバーの一人であり、友人でもあるオランダ人のハーメンとしばらくカフェで話をしていた。研究の話を少しした後、オランダや隣国の話をした。
中でもベルギーに関する話が印象に残っており、どうやらベルギー人はオランダ人と容姿などは似ていながらも、気質的には随分と異なり、文化もだいぶ違うようだ。ハーメンの話を聞きながら、せっかくベルギーが目と鼻の先にあるのだから近々足を運んでみたいと思う。
来年の春あたりに、ポーランドのワルシャワを訪れ、ショパン博物館に足を箱ぶ計画を立てている。ワルシャワに何泊かし、その足でドイツのデュッセルドルフに住む、かれこれ10年以上付き合いのある親友のドイツ人のところを訪れ、ボンに足を運びたい。
ボンはベートーヴェンの生まれた場所であり、ウィーンだけではなく、ここにもベートーヴェンの博物館がある。ボンからフローニンゲンに戻る途中で、ベルギーに何泊かするという計画を立てている。
春を迎えるのは随分と先であるが、そのようなことを暗闇に包まれた早朝に考えていた。2017/12/6(水)06:05
No.513: Qualitative Difference of Aesthetic Experience of Music
How differently do children, adolescents, and adults perceive music?
In other words, how qualitatively different are their aesthetic experience?
I am curious about the qualitative difference of aesthetic experience of music.
One possible approach is to use a qualitative interview method. I am thinking about how I can utilize nonlinear dynamics methods for this research topic.
Since I need a number of data points, I have to make a robust research design. 15:16, Sunday, 12/10/2017