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1847. 問いだったのだ


今日も静かに一日がスタートした。一切の風が吹かず、書斎の窓から見える闇に包まれた世界は静止しているかのようである。

時間が止まってしまったかのような世界。流れていく時間の世界の奥にある、時間の流れぬ世界で生きることの擬似的体験を今まさにしているかのようである。

フローニンゲンはすっかり寒くなり、最低気温がついにマイナスとなった。気づけば今日から12月となり、今年も残すところあとひと月だ。

昨夜は就寝前に、賛美歌のような曲を作った。明日への賛美が滲み出すような曲である。

曲が出来上がったあと、「明日とはいつからが明日であり、明日とはどこからやってくるのか?明日がやってくる前に明日はどこにいるのか?」という問いと向き合っていた。

一見すると、それは回答のしようがないような不毛な問いのように思える。しかし私は、就寝前の暗い闇夜の世界の中で、その問いと静かに向き合っていた。

回答など得られるはずはなく、また、回答を得ようなどとも思っていなかった。どうやらこの世界には、回答することが目的とならない問いが存在するようなのだ。

つまり、最初から答えることなどできないと分かっていながらにも生じてしまう、必然的問いというものが存在し、それは回答すること以上の意味を持っているということだ。

回答を寄せ付けない問いは、回答されることに意味があるのではなく、純粋に問いが立てられることに意味がある。問いが立てられる純粋な意味、それは新たな問いを引き込む媒介的役割を担うということである。

仮にその問いに答えられなくても、その問いが立てられたことにより、問いの街道が広がる。その街道にまた有意味な問いがやってくるのだ。

問いが問いを呼ぶというのは、こうした現象のことを指すのかもしれない。 問いそのものの中に不思議な推進力があり、さらには発達的な力が内包されていることに気づくだろうか。最近私は、それらの力の存在を深く体験的に実感する。

問いは自ら進んでいき、時に問い自身が自らに回答を与える。回答を与えるのは私ではない。

さらに、問いは自発的に進んで行く過程の中で、また別の新たな問いを引き寄せ、問いの街道を新たな問いと共に進んで行く。問いが私を導いていく様子を見ていると、私という存在そのものがもしかしたらある種の問いなのかもしれないと思えてくる。

なぜなら、問いは問いを呼び、それを率いて前に進んで行く力を持っており、私は呼ばれ、率いられる対象だからである。

北欧に近いオランダ北部の街フローニンゲンで迎える二度目の冬。日々、問いが私に声をかけ、私はそれに応じて一歩一歩前に進んでいく。やはり私という存在は問いなのだろう。

問いには推進力と合わせて、発達的な力が内包されている。これは問いが問いを生むという生成力とも密接に関わっており、新たな問いは既存の問いへ回答を与え、既存の問いを乗り越え、再び新たな問いが生まれる。

この循環的なプロセスは、問いの発達と形容することができるため、発達力と呼ぶことにする。

問いは問い自身を発達させていくのみならず、問いの受け皿としての私、あるいは問いとしての私を発達に導いていく。私の中に流れ込む問いが私自身を発達させていく姿は、自力の発達であり、同時にそれは他力の発達だと形容できるだろう。

自己の存在は問いだったのだ、と考えてみると自己はどのように捉えられ、その歩み方はどのように変化するのだろうか、という新たな問いが立つ。2017/12/1(金)06:52

No.492: Revelation

This is it, and that is it.

I obtained the revelation again. It was a spiritual direction for my soul.

I will just keep diaries and compose music for all beings manifesting at the everlasting present moment. 11:08, Thursday, 12/7/2017

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