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1772. 昨日の日記について


今朝は五時に目を覚ましたが、実際に起床したのは六時だった。夢の内容は一切忘れてしまっているが、夢から覚める瞬間に、夢自体が何か危険なことが起こる場所を示してくれた。

それは、そちらの方向には行ってはならないことを示す夢だった。目を覚ました瞬間、自分がまるで日本にいるかのような錯覚に陥っていた。

数秒ほどその錯覚が続き、自分は東京にいるものだと思っていた。だが、数秒ほど経つと、錯覚から覚め、自分がオランダにいることに気づいた。

目覚めた瞬間の寝室はとても寒かった。今夜からは寝室の暖房を入れて寝る必要があるかもしれない。 ここ数日間、確かに夢を見ており、起床直後にその断片の印象が自分の内側にあるのだが、その内容を詳細に思い出すことができない。詳細に思い出すことができる夢とそうではない夢の差は、いったいどこから生まれるのだろうか。 昨日は随分と数多くの日記を書き残していたように思う。正直なところ、毎日が何か無我夢中な形で進行していく。

そうした内側のリズムに寄り添う形で文章を書き留めているため、自分がどれほど文章を書き残しているかはほとんど意識していない。

しかし、昨日を振り返ってみると、数としては七つほど、文字としては10,000字ほどの日本語の日記を書き残していた。普段は平均して四つほどの日記しか書いておらず、多くとも五つの日記に留まるのだが、昨日は随分と多くの日記を書き残していたことに気づく。

知らず知らず文章を書き、気づけばそのような分量の文章を書き記していた。私は、考えながら書き、書きながら考えることしか進む術を知らない。

書き残しておきたいことが山ほどあり、それらの中から文章になろうとするものだけを選んで書いているつもりでも、気づかないうちに昨日は多くの文章を書いていた。昨日は、随分と多くの学術論文を読み、作曲理論の専門書を読んでいた。

そこに作曲実践を加えると、六時間ほどは読むことを行っていたような気がする。一方、それと同じぐらいに、あるいはそれ以上に書く時間の方が長かったかもしれない。

感覚として、読むことよりも書くことの時間が多い方が精神の健全性が保たれる。一時期は一日に、読むことに十時間ぐらい充てていることがあったが、振り返ってみると、それはあまり探究の濃度が高くないように思える。

やはり、文章を書くということ、自分の言葉で探究内容を絶えず咀嚼しながら進むことが一番のようだ。 今朝は昨日の朝よりも闇が深いように思えるのは気のせいだろか。日中目にすることのできる赤レンガの家々の姿は、闇で覆われているために見ることができない。

その代わりに、まばらに置かれた街灯の黄色い光だけが見える。今日も光のある方へ歩んでいく。2017/11/12(日)06:47

No.417: 3+3+3 or 4+4+4 I think that if I can spend three hours in each activity that contains scientific research (academic writing), keeping a journal (essay writing), and music composition, that is an ideal life for me.

If I can spend four hours instead of three, that would bestow extraordinary happiness and joy on me.

I convince that I can lead such a life someday soon.

My life is saturated with just writing, writing, and writing, and just creating, creating, and creating.

Such a life is absolutely realizable. 15:55, Saturday, 11/25/2017

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