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1721. ネットワーク的なテキスト読解


今日も気付けば早いもので、一日が終わりに差し掛かっている。今日は普段より遅めの起床の後、明日に控えた最終試験に向けての学習を進めていた。

明日の試験は、「学習理論と教授法」というコースのものだが、これまで計画通りに学習を進めてきたので、当日の試験についてはもう心配はいらないであろう。

来週の木曜日には、「評価研究の理論と手法」のコースの最終試験がある。こちらは、課題論文は一切なく、その代りに、二冊の専門書が課題文献となっている。

二つの書籍の中身は非常に濃く、試験範囲は二冊の内容のほぼ全てに及ぶので、念入りな準備が必要となる。今のところ、コースの前半に取り上げられた一冊の書籍に関しては、その内容の大半を自分の言葉で説明できるようになった。

しかし、コースの後半で取り上げられたもう一つの専門書については、これから何度も繰り返しテキストを能動的に読み込んでいく必要がある。正直なところ、今回のコースで取り上げられた概念の数があまりにも多岐にわたるため、工夫をしなければ、それらを頭に入れることはできない。

以前に言及したように、テキストの字面を追いかけるだけの読み方を何度行っても全く意味がない。とりわけ、今回の試験で課せられているように、無数の概念の意味を自分なりの言葉で説明できる必要があり、研究手法と研究デザインの理論について深い理解が要求される場合、そのような受動的な読み方を採用していては全く効果がない。

そのため、能動的な読み方を徹底して行う必要がある。幸いにも、「学習理論と教授法」のコースを通じて、能動的な読み方について考える機会があり、その方法に関するヒントを豊富に得た。

とりわけ現在特に意識しているのは、テキストを音読する過程の中で、絶えず自分に説明していく方法である。音読をすることは、黙読と比べて能動的であるが、単に音読をしているだけでもまだ受動的である。

そこで私が行っているのは、音読の合間合間に自分の説明を加えるということである。一つか複数のセンテンスに対して音読を行い、その後に、それらを自分の言葉で言い換えるということを行っている。

自分の言葉で言い換えることができれば、そのセンテンスの内容の本質については理解できていることになり、逆に言い換えることができなければ、そのセンテンスの内容理解は浅いと言える。さらに能動的には、自分なりの言葉での言い換えの後に、問いを立て、その問いについても自分なりに答えてみるということは有効だろう。

さらには、自分の過去の体験や既存の知識と結びつける形で、センテンスに関する具体例を挙げることも有効だろう。しかし、こうした能動的な読みを行っていても、まだ不十分な感覚が自分の内側にあった。

それほどまでに、「評価研究の理論と手法」のコースで課せられている二冊の専門書の内容を我が物とすることは難しい。そこで私はさらに能動的な読みを行うために、テキストに記載されている重要な箇所を自分の言葉で文章にするということを行い始めた。

ここでもポイントは、テキストのセンテンスをそのまま抜き出すことは全く意味がないということだ。自分の言葉で言い換えるということ、つまり、自分の頭で意味を解釈するという作業を挟まなければならない。

センテンスの内容の意味を汲み取り、自分の言葉で文章を書いていくという行為は、実に能動的である。だが、それでもまだ自分の脳が十分に活性化しているとは言えない感覚があったため、古典的な手法だが、マインドマップのツールを用いることにした。

やはり、自分の言葉で文章を書き連ねているだけでは、後々にそれを見返す際に、非常に不便である。文章は線形的な形となって現れるという性質があり、それは脳の非線形的な特性とは相容れない点である。

視覚的にも脳を刺激するために、テキストの要点とそれらの関連がわかるように、ネットワーク上に要約をしていくことは、とても効果があるように思える。脳の性質の一つとして、ネットワークというのは鍵であり、その性質に合致した形でネットワーク的に要約をしていくことは、とても効果があるだろう。

この実践は、概念のネットワークを構築する上で非常に効果があるように思うため、今回の試験のためだけではなく、今後論文や専門書を読む際にも実践したいと思う。こうした能動的な読みを心がけなければ、私たちの脳は依然として不活性のままである。

テキストの内容を自分の言葉で言い換え、それらをネットワーク的に整理していくということを手間だと思わず、これは自分の習慣にしなければならないだろう。2017/10/31(火)21:25 No.366: Melodic Structures Now I understand why my music tends to lack melodic structures.

The main reason is that a soprano line often contains many leaps.

Although leaps are allowed in a soprano line, they should be avoided to be used many times.

On the other hand, many leaps are acceptable in a bass line.

I will create a four part harmony today based on this founding. 10:34, Friday, 11/10/2017

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