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1720. 叫び


雨がポツポツと書斎の窓にぶつかっている。その響きは、どこか切なく、そして哀しい。

その哀しさの所在は不明である。哀しい雨が静かに降りしきる中、私はこの人生で自分に課せられていることが何なのかを少しばかり考えていた。

それは、叫び続けることなのかもしれない。そのような思念が浮かび上がってきた。

自分の人生でやるべきことは、叫び続けることなのかもしれない。今年の夏にノルウェーを訪れた際に鑑賞した、エドヴァルド・ムンクの一連の作品を思い出す。

その中に、文字どおり、『叫び』という作品があった。ムンクは紛れもなく、絵画を通じてこの世界に自己の叫びを発し続けた。

ここで述べている「叫び」というのは、魂の声がより明確な形となったもののことを指す。先ほど考えていたのは、自分の一生は、自らの魂の声を聞き、それを叫びとして外側に表現することにあるのかもしれないということだった。 今、書斎の窓に切なく打ち付けられる無数の雨滴を見ることができる。日々の日記は、そうした無数の雨滴と同様のものなのかもしれない。

しかし、一つ一つの雨滴のような日記は、自分の魂の声の断片であることに変わりはない。日記を書くことは、自分の人生を真に生きることである。

いつからかそのような思いを持つようになった。日記の一つ一つの中に、魂の遍歴過程が刻印され、魂の声がそこに顕現している。

それを続けていくこと、つまり日記を書き続けることが、自分自身の人生を生き続けていくことなのだ。自分の人生を真に生きていれば、魂の呼び声が常に聞こえてくるはずである。

それを日記に書き留めておくのだ。逆に、魂の呼び声に絶えず耳を傾けようとすることが、自分の人生を真に生きることにつながる。

日記を書くことは、自分の中で最優先にしなければならないことだろう。その他の事柄よりも、日記を執筆することが重要なのだ。

なぜなら、日記を書くことは、自分の人生を生きることに他ならず、日記は自分の人生に他ならないからだ。世間で「仕事」と呼ばれる仕事ではないものに邁進するのではなく、自分の人生を自ら紡ぎ出して生きていく。 気がつけば、先ほどまで降っていた哀しい雨が止んでいた。書斎の窓を見ると、もう雨滴がどこかに消えていた。

雨滴が消え去っても、私の中には何かが残り続けていた。自分の言葉があり、その音があった。

魂の言葉だけがあり、その音だけがそこにあった。2017/10/31(火)09:57

No.365: Destructive Impulse “Desire for destruction.” I had such an impulse last night.

I thought that it was my intrinsic destructive impulse but that it was also the source for my vitality.

Since I already described the overview of the impulse in Japanese, there is nothing more to say here.

However, I recognize that I can delineate it differently when I write it down in English.

I have no choice but to appreciate having two distinct languages in my psyche.

I do not know how benevolent the operationalization of multiple languages is for my being. 08:26, Friday, 11/10/2017

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