リズムやメロディーから曲を作っていく方法とコードから曲を作っていく方法に関しては、まだまだ仮説と検証の数が足りないように思う。もしかすると、コードから曲を作っていく方法に関しても、様々な方法があり、今の自分はそれらを理解していないだけかもしれない。
現段階では、リズムやメロディーから曲を作るというベクトルと、コードから曲を作るというベクトルの二つを持って、しばらく作曲実践を行っていこうと思う。当面は、ある種の訓練だと思って、それらを交互に試してみるのもいいかもしれない。
そういえば、昨夜にもう一つ考えていたことは、ベースの音を決めるタイミングについてである。以前に履修していたオンラインの作曲講座では、基本的にベースから音を取っていくことを推奨していた。
やはり、流れる曲の中で最も低い音というのは幹のような役割を果たすため、そうした理由がベースから曲を作っていくことの背景にあるのだろうか。ここでも先ほどまでの疑問と同様に、ベースからではなく、高い音から曲を作っていくにはどうしたらいいのかを考えていた。
ベースから曲を作っていくことは、推奨されているというだけであり、絶対的なものではないはずである。では、ベースから曲を作らない場合には、どのような方法で曲を作っていくのがいいのかを考えていた。
ここでもいくつか仮説のようなものを持ったため、今日の作曲実践の中で実験を重ねながら検証をしていきたい。 このところ、グレン・グールドが演奏するバッハの平均律クラヴィーア曲集を頻繁に聴いている。グールドの演奏するこの一連の楽曲は、三時間半ほどの時間に及ぶ。
それを何度も自然と繰り返し聴いている自分がいる。昨日、森有正先生の日記を読み返していたところ、興味深い記述に遭遇した。
ロベルト・シューマンは、ショパンを天才と評し、ショパンの曲をよく演奏していたそうだ。一方で、ショパンはシューマンの曲を演奏することはなく、バッハの平均律クラヴィーア曲集を毎日演奏していた。
ショパンに先立って、ベートーヴェンもバッハの平均律クラヴィーア曲集を毎日のように演奏していたそうである。この史実を知った時、自分がなぜバッハのこの曲を延々と繰り返し聴いているのかの隠れた理由が見えてくるようであった。
バッハの平均律クラヴィーア曲集は、一つ一つの曲が完成された曲としての意味を持っているのみならず、48曲が一つの総体としての巨大な意味を持っているような気がしてならない。
それは一つの巨大な音楽宇宙であり、その中にいると無上の心地よさを感じる。今日も、絶えずこの曲集が生み出す音楽世界の中で仕事を進めていきたいと思う。2017/10/30(月)08:11
No.361: Reinforcement of Knowledge Networks I will read again the summaries of the text book, which is for the preparation for the exam on Thursday.
I made the summaries as if they are like knowledge networks. It means that each component of the summaries relates to one another, and that each node generates a whole semantic network.
Following each node and connections reinforces my knowledge.
I plan to read the whole summaries tonight, and to read them again in the morning and at night tomorrow.
This is all I have to do for the upcoming exam. 16:55, Tuesday, 11/7/2017