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1691. 学びに伴う身体感覚


書斎の窓の向こうには分厚い雲が広がっている。しかし、東の空の方向を眺めると、雲が多くなく、夕暮れの輝きが見える。

今日も気がつかないうちに夜に近づいている。先ほどまで、「評価研究の理論と手法」のコースで取り上げられている専門書を読んでいたところ、あっという間に三時間の時間が過ぎていた。

私は昔から活字を集中して読むことが苦手なのだが、ここ最近は、自分の脳のそうした特性を理解したような読み方を自然と行うようになっている。もしかしたら、人は長時間続けて活字を読むことができないのかもしれないが、私の場合は活字を黙読している最中に注意が特に散漫となる。

専門書や論文に記載されている一つの文章から、次から次へと連想が膨らみ、そうした連想の渦に巻き込まれていると、全くテキストの読みが進まないということがよくある。

こうした思考特性があり、連想から連想を産みながら何かを考えていくことには長けているのかもしれないが、一つのことをあまり集中して考えることはできない。

より正確には、自分の関心を最大限に掴む一つの項目についてなら集中して考えることができるが、専門書や論文の中には自分の関心事項を強く掴むもの以外のものの方が圧倒的に多いため、黙ってそれらを読もうとすると、一向に集中することができないのだ。

そうした自分の思考特性に気づいて以降、やはり最も有益な方法は、音読をしながら、自分に対して説明をすることである。正直なところ、黙ってテキストを読んでいても、一向に頭の中に何かが入ってくる感覚がしないのだ。

それは物理的に、自分の脳に入ってこない感覚がしており、より微細な感覚を観察すると、知識項目が自分の身体に浸透していない感覚がするのだ。これは不思議な感覚なのだが、自分の理解できない文章を読むときは、文章の内容と自分の意識が中空に浮かんでいる感覚がする。

一方、自分が文章を理解している時には、文章の内容そのものが身体の中にあり、自分の意識も身体に密着している感覚がするのである。まさに、日本語の「腑に落ちる」という表現は素晴らしく、自分が何かの知識項目を理解している最中には、身体の中心部が活性化されており、知識項目とその中心部が繋がっている感覚がするのである。

究極的には、何かを理解するというのは、こうした身体感覚を養っていくことに他ならないのではないかと思う。その一つの方法として、自分に説明しながら音読するというのは、効果的であるように思う。

先ほども、気づかないうちに三時間続けて音読をしていたが、その時間があっという間に過ぎていった。単純に念仏を唱えることにも、脳を活性化させる作用があるということを耳にしたことがあるが、先ほど行っていたのは、意識的に念仏を唱えるような実践と言えるだろうか。

あるいは、念仏を通じて自分に語りかけるようなことを三時間連続で行っていたと言えるだろう。先ほど読んでいたのは、“Evaluation: A Systematic Approach (2004)”という専門書だが、今日読み返していた箇所は、この一ヶ月間においてかれこれ四回ほど繰り返し読んだことになる。

四回目の今日において、テキストの内容が随分と分かり始めた、という段階にいる。ただし、なんとなく分かり始めたという段階と、随分と分かり始めたという段階の間には、何か質的に大きな差があるように感じている。

それはまさに、身体感覚を通じた差である。先ほどの三時間の間においては、読み返していた箇所の概念や理論が、自分の身体の奥深くに浸透していく確かな感覚があった。人が何かを学ぶというのは、こうした感覚を不可避に伴うものなのだろう。

学習する喜びの一つには、こうした騙すことのできない確かな身体感覚が、学習過程の中で必ず起こり、それを経験することにあるのかもしれない。今日も夕食後に、再びテキストの続きを同じように読んでいきたいと思う。2017/10/25(水)18:10

No.336: Writing as a Valuable Learning Method Writing encourages us to sift out what ideas and experiences are most important for us.

For instance, we have to select some significant concepts or emotions when we start to write. It can be said that these concepts or emotions invoke our urge to write.

Related with reading, writing facilitates our understanding of texts with the same logic mentioned above. Writing requires us to choose what we focus on and to elaborate our thoughts, and this process fosters our understanding of texts.

Hence, I believe that writing is a tremendously valuable learning method. I cannot find any other methods to cultivate our conceptual, emotional, and existential understanding. 09:43, Monday, 10/30/2017

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