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1687. 呼び声に従って


何かを始めるのに遅いなどということはない。そのようなことを自分に言い聞かせることがしばしばある。

何かを始めるのに遅いということはない。それは当たり前だ。なぜなら、そもそも時間というのは虚構の産物であり、遅いや早いなどという概念が入り込む余地がないからである。

日々の着実な進歩。実際のところは、その進歩の実感が、何かを始めることに遅いなどということはない、という考えを深めていく。

フローニンゲン大学での二年目のプログラムが始まり、あるコースを履修している最中に、先週の自分と今週の自分の確かな違いを感じたことを鮮明に覚えている。実は、それと同じ体験は昨日もあり、厳密に言えば、毎日それを感じている。

そこにあるのは、絶え間ない進歩の実感なのだ。あるいは、何かが着実に深まっていく感覚、と言っていいかもしれない。

そもそもこの世界には無数の知識領域と実践領域がある。そうしたことを分かっていながらにして、その時の私は、新しい領域がまだまだ無数に存在することに驚きを隠せなかった。

そして、ひとたびそうした未知の領域に足を踏み入れてみると、自分の世界がまた新しく広がり、内面世界がさらに豊かになっていく感覚を得たのである。昨日も、些細な進歩に対して、無上の喜びを感じていた。

それは、あるコースの履修前に掴みづらかった概念が、今となってはそれを掴むのみならず、自分の身体の中にその知識があるという感覚を持てていることだった。ほんの数週間前には、その概念の存在すら知らなかったものが、今となっては、その存在と共にいるのだ。

そして、その存在との結合により、世界がまた新しく見えるようになり、内面世界がさらに豊かに深くなっていくことを実感している。 日々の確かな進歩がもたらす充実感は、学術探究のみならず、作曲実践についても当てはまる。数ヶ月前の私は、ドレミファソラシドが鍵盤のどこにあるのかなど全くわからず、楽譜など一切読めない状況にいた。

それでも私は、「自分は作曲をする人間である」という確信を超えた確信があった。確かに、その確信が芽生えた時の私の年齢は、シューベルトが亡くなった時の年齢であるから、作曲実践に従事し始めたのは遅いと言っていいだろう。

だが、表面上遅いように思えたとしても、私の中では、全く遅いなどとは思わなかった。何かを始める際に、それが早いか遅いかなどというのは、決断の材料にならない。

何かを始めようとする意志だけが決断の材料になる。そうした確固たる意志は、早いか遅いかという二元論を真っ二つにしてくれるように思う。

早いか遅いかを悩むようであれば、結局確固たる意志がないのだと思う。そして、その対象となる実践は、その人を呼んでいないのだと思う。

呼び声のかかった実践であれば、早いか遅いかなどという迷いは生じようがない。なぜなら、それは二元論を超えた世界からもたらされる声だからである。 作曲について、私は日々、自分の小さな進歩を、自分の内側で生起している現象とみなすのみならず、自己を超えた世界からの恩寵だとみなすようになっている。それは、呼び声からの恩恵だと言っていいかもしれない。

人は、こうした恩寵の中で確かな進歩を実感する時に、充実感というものを得るのではないか。そして、そうした充実感は、日々の幸福さと密接に関わっている。

充実感も幸福感も、自らの意志に従った行為からもたらされるのと同時に、自己を超えた呼び声の恩恵からもたらされるものだと思う。何かを始めることに対して、早いか遅いかを懸念するというのは、こうした充実感や幸福感を感じることに対して、早いか遅いかがあることを案じるのと同義だと思う。

充実感や幸福感というのは、万民に対して平等に与えられたものであり、それを感じるのに、早いか遅いかなどありはしないのではないか。なぜ人は、自分を呼ぶ声を聞こうとせず、それに身を任せて生きることをしないのか。2017/10/24(火)09:16

No.332: Recent Diary I have not written an English journal so much in the last couple of days, which is somewhat intriguing to me.

I am wondering about the factor and reason, both of which should be plural and could be interdependent. I do not care how much I write a journal everyday, but the point is whether I write it every or not.

Both quantity and quality do not matter. Yet, a dualistic fact of whether I write it or not has critical importance.

Today’s journal is an indispensable bridge between the self of today and that of tomorrow. That is why I just keep a journal everyday no matter how short and trivial my writing is. 06:28, Sunday, 10/29/2017

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