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1685. 秋も終わりに差し掛かったある夜の思念


今朝は少しばかり遅い起床となった。七時少し前に起きてみると、辺りを包む闇が、これまで以上に深くなったような気がする。

今週末からサマータイムが終わるということも納得ができる。これから本格的に冬に向かっていく。

不思議と、文章を執筆する修練をもっと積みたいという思いが湧き上がる。日々、日記や論文を通して、それなりの文章を書いているが、やはり絶対量が不足している。

ここで注目しているのは単に量の問題ではなく、連続的な思考と感覚の流れを掴めているかどうかの問題だ。日々の生活の中で、随分と多くの思考と感覚が見過ごされてしまっているのではないか、という考えが脳裏をよぎる。

一方、仮にそれら全てを文章として記録をしたら、どのような発見があり、そうした行為によって自分の思考と感覚は、どのようなものに変わっていくのだろうか、という関心が尽きない。

思考と感覚の連続的な流れに真に寄り添い、それらに形を与える時、流れそのものの変容とそれらの形そのものの変容に対して、異常な関心がある。昨夜少しばかり考えていたのは、そうしたことを実現させる手段として、どのような形式で日記を書いていくと良いのかということだった。

日本語の日記においては、思考や感覚の流れの中でも、最も印象に残るものを掴まえる形で文章を書き留める。おそらく、その方向性は間違っていない。

ただし、そのような場合、思考と感覚の流れを忠実に形にするというよりも、流れの中にある重要なものだけを抜き出し、それに形を与えるということを意味する。私が理想とするのは、そうした実践に加え、絶え間ない流れを絶え間ない形として外側に表現していく実践を行うことである。

もしかすると、こうした実践を行う上では、日本語の日記よりも短く、連続的に文章を書くことを可能にする、英文日記の方が形式としてふさわしいのかもしれない。

とめどない内側の流れをいかに外側に形として残していくか、そこに今の私の関心があり、そこに今後の大きな課題があるのだと思う。 昨夜は就寝前に、少しばかり奇妙な思念に捕らえられた。人生を終えた時、火葬にするか土葬にするか、という問題である。

私は火葬を選び、自分の遺灰の半分を太平洋に、残りの半分を宇宙空間に撒いて欲しい、と近親者にお願いすることを考えていた。半分は地球に、残りの半分は宇宙に帰る。

それは礼儀であり、自分の信念の反映であるように思えた。なぜ突然、火葬か土葬かの選択について考えていたのかわからない。ましてや、自分の遺灰をどこに撒くのかという選択についても、なぜそのようなことを考え始めたのかわからない。

だが、北欧に近いこの場所の、秋も終わりに差し掛かった闇夜に包まれた夜であれば、そのようなことを考えてもおかしくはない。2017/10/24(火)07:58

No.330: Reading for Teaching I engaged in active reading in the morning. I read all of the contents as I planned before starting to read.

I was reading texts as if I would teach a course for the topics. Having the intention to teach the contents in future can enhance my motivation and effectiveness for learning.

I believe that everything I am learning here at University of Groningen will lead to my future research and teaching.

Whenever I read some papers and textbooks, I will always keep in mind that the contents can be my teaching materials in my future. 13:02, Saturday, 10/28/2017

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