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1684.「評価研究の理論と手法」という実り多きコースについて


今日も所々で雨が降るような一日だった。今週はこれからずっと天気が崩れるようだ。

今日は、「評価研究の理論と手法」のコースの最後のクラスに参加した。このコースは、今学期のハイライトとも呼べるコースの一つである。

このコースを通じて、発達支援や学習支援の介入的手法やプログラムの効果測定をいかに行うのかについて、理論的かつ技術的なことを非常に深く学ぶことができた。

正直なところ、そうした効果測定を厳密に行うためには、それほどまでに厳格な手続きを踏まなければならないのだ、ということを痛感させられるような気づきを何度も得た。

具体的には、数多くの研究デザイン(事前・事後のアセスメントと対象グループの有無の組み合わせなど)の利点や盲点について学び、その限界点を克服するための工夫などについて学びを深めた。また、研究デザインごとに、四つの種類の妥当性の何を毀損する可能性があるのかなどについても学びを深めた。

そもそも、そうした数多くの研究デザインがあることをこれまでの私は知らず、発達支援プログラムの効果を測定する際には、対象グループ無しの、事前事後のアセスメントを用いた研究デザインばかりを採用していたように思う。

この研究デザインの盲点について、ここでは詳しく紹介しないが、介入手法やプログラムの効果測定というのは、非常に体系立った理論と方法があるということを念頭に入れておく必要がある。

自分が採用する研究デザインが、例えば妥当性に限ってみても、9種類の内的妥当性の何を毀損する可能性があるのか、14種類の構成概念妥当性の何を毀損する可能性があるのか、5種類の外的妥当性の何を毀損する可能性があるのか、9種類の統計的妥当性の何を毀損する可能性があるのかを少なくとも把握しておかなければならなない。

今改めて列挙してみたが、合計で4種類の大きな妥当性の区分のそれぞれの特徴を理解し、それぞれの妥当性の中にある合計で37個の妥当性を毀損する項目についての理解を明確にしておかなければならない。

これまで本格的な心理統計のコースを受講したことはなかったが、少なくとも妥当性という概念は、これまでの発達研究を通じて何度も目にしたことのある重要なものだった。しかし、妥当性の細かな区分についてはそれほど明確な理解を持っておらず、さらには、合計で37個の妥当性を毀損する項目についての理解はほとんどなかったように思う。

このコースを通じて学んだ概念や理論、そして評価手法については、今後の実際の研究や実務の中で大いに活きてくるだろう。 クラス終了後、自宅に帰ってから、早速今日のクラスで取り上げられた内容について振り返っていた。講義資料を眺めながら、担当教授と同じような説明が自分でできるかどうかを確認していたのである。

学習項目を文章に書くだけではなく、口頭説明を自らに対して行うことの重要性を最近特に感じている。理想的には、全ての学習項目について自分の言葉で文章を書くことであり、それ以上に学習効果の高い方法はないように思う。

しかし、学習項目が多岐に渡る場合、全ての項目について文章を書くことは非常に大変である。その代わりとして、口頭説明を自らに課すというのは、非常に優れた代替的学習方法だと思う。

今回履修したこのコースは、研究者としての今後の自分の仕事に直結するのみならず、日本企業との協働プロジェクトにおいても非常に有益であるということが目に見えて理解できるため、履修期間を通じて、常に強い学習動機が自分の中にあったように思う。

それは、今日の最後のクラスを終えても、まだ自分の内側にあり続けている。実際に、このコースで取り扱っている二冊の専門書を知らず知らず、何度も読んでいる自分がいる。

参考までに、二冊の専門書を紹介しておくと、“Evaluation: A Systematic Approach (2004)”と “Experimental and Quasi-Experimental Designs for Generalized Causal Inference (2002)”という書籍だ。

このコースの最終試験は、今から二週間後にあるが、それまでに、単にテキストを繰り返し読むのではなく、絶えず自分に口頭説明をすることと自分の言葉で文章を書くという二つの学習方法を並行させていきたいと思う。

このコースを履修することができて、本当に幸運であったと思う。2017/10/23(月)19:50

No.329: Developmental Irreversibility I will experience certain oscillation this winter. It will facilitate my development.

A tree outside the window is oscillating by breeze. The oscillation reminds me of one of the principles of human development.

We become a new self after we experience a proper amount and degree of oscillation.

We cannot come back to our previous self once we become a new one, although we may sometimes experience temporary regression. It is called developmental irreversibility.

If we drop a glass from the table and if it breaks, we cannot undo it.

I remember a proverb: “It is no use crying over spilt milk.” Our time has irreversibility, and so does our development.

It is time to bid me farewell; that is for my previous self. My new self would come after I experience developmental oscillation this winter.

The naked tree oscillating by breeze looked like calling me. 09:07, Saturday, 10/28/2017

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