
早朝、昨夜に湧き上がった作曲に関する問いについて少しばかり考えを巡らせていた。しかし、知識のないところから問いへの解答を見出していくことは容易なことではなかった。
知識がなくても問いを立てることができたが、それらの問いに解答するためには、実践的な知識が必要であった。そのため、書斎の机の脇にある椅子の上に積み上げられた書籍の一番上にある、エドヴァルド・グリーグの楽譜を手にとって眺めてみた。
すると、色々と面白いことに気づいた。見開き二ページほどの、いくつかの短い曲の中において、句読点の使われ方は実に多様であった。
ある曲においては、最初の八小節で一度句点(もしくは読点)が置かれ、そこから曲の最後に向かっては一度も句読点が挿入されていない。一つのモチーフやテーマのようなものが、あるべき形になるまで曲が続き、あるべき形を迎えた時に句読点を打っている印象がある。
私の場合、一つのモチーフやテーマが仮にあったとしても、それがどのようなあるべき形をしているのかを掴むことがまだできない。文章執筆で言えば、自分の文章がどこに向かっているかわからない状態である。
もちろん、文章においても、事前に文章の終わりを完全に予期することはできない。最後の落とし所はあったとしても、その落とし所の色や感触は、当初の予定とは若干異なることが頻繁に起こる。
文章の場合であれば、そのあるべき地点に向かって、言葉をある程度自由に紡ぎ出してくことができる。一方で、作曲の場合ではそれがまだ相当に難しい。
もう一つ、決定的なことは、自分の中のモチーフやテーマが、あるべき形に収束していくのが極めて早いということだ。曲の中でモチーフやテーマが育つことなく、モチーフが単発なもので終わり、それが結局一つのテーマを短いものにしている。
結果として、一つの曲が全体感を欠いてしまい、さらには曲中の滑らかな連続性が確保されていないことにつながっているのではないかと思う。グリーグの抒情小曲集の最初の作品である『アリエッタ』の楽譜を眺めてみると、一ページの曲の中に、目立った句点は特にない。
ヘ音記号とト音記号との間に共通の休符を一切挿入することなく、曲が最初から最後まで続いている。おそらく、休符のような外見上の句切れはなくとも、目には見えない意味の句切れは曲の中にあるのだろう。
今の私が問いとして持っているのは、外見上の句切れである休符をいかに打つかということと、意味の切れ目をどのように作っていくかということ、さらには、それらの句切れを挿入しながらも、全体としての流れを確保するにはどうすればいいのか、ということである。
問いが回答を呼び込み、また新たな問いを生む。今回、そうした問いを立てることができたということは、もうその回答を知ったということとほぼ同義であり、それはすなわち、また新しい問いが生まれるということを示している。
いずれにせよ、絶えず自分なりの問いを立て、それを持ちながら日々作曲実践に向き合っていくことが何よりも重要だろう。そうした問いがあるのとないのとでは、過去の作曲家が残した楽譜の見え方が変わり、得られるものが全く異なる。
知識と技術の体系を育んでいく際に、分野がどのようなものであれ、自分なりの問いを立て、それを絶えず持ち続けることが重要になるだろう。今日も自分なりの問いを立て、問いの中で一日を過ごすことにしたい。2017/10/18(水)07:10
No.305: Elaboration and Development of a Motif and Theme I usually compose music night after finishing every work on that day.
Yet, I took a look at Edvard Grieg’s music scores in the early morning today because the question that arose last night still remained in my mind.
Grieg’s music is the apotheosis of the beauty within simplicity. Although I have reviewed only his lyric pieces, they are succinct and beautiful.
His music scores stimulated my inquisitive mind, and in fact, I came up with many questions about music composition.
One was how to make a motif and theme develop within a piece of music. I need to cultivate a technique for the elaboration and development of a motif and theme.
My assumption is that a motif and theme can naturally develop toward as it is. Yet, the technique is beneficial to facilitate the motion for the elaboration and development.
I do not know what kind of existing technique is compatible with my intention, but I will search for it or establish it by myself if necessary. 13:32