今朝は、目覚める直前まで見ていた夢の強い印象によって起きる形となった。夢の中での感覚が起床直後にも残っており、その感覚がとても肯定的な意味を持つような夢であったことを告げている。
だが、その内容については覚えていない。どうやら、夢の印象が強いことと、その内容を覚えているかどうかとは直接結びつかないようだ。 一昨日の午前中、どこからともなく鐘の音が聞こえた。街の中心にあるマルティーニ塔の鐘の音がここまで聞こえたのだろうか。
あるいは、自宅からより近くにある教会の鐘の音だったのかもしれない。日本の除夜の鐘とはまた違う響きを持つ音が、自分の耳に届けられた。
今の私がいる場所は日本ではなく、ヨーロッパなのであり、オランダなのだということを音から実感するような体験であった。鐘の音にしばらく耳を澄ませていると、そこには鐘の音しかなかった。
別の表現をすれば、鐘の音だけがそこにあった。鐘の音に合わせて、自己が鐘の音に向かって収束していく。
そこで自己と鐘の音とが一つになる瞬間があった。だからそこにあったのは、鐘の音だけであった。 以前に見た夢の日記を読み返していると、それがきっかけとなり、少し前の夢の断片を思い出した。それは高速道路を車で走る夢だった。
実際には、運転をしていたのは別の人物であり、私は助手席にいた。しばらくすると、運転手が運転を変わって欲しいと申し出た。
普段車の運転をする機会のない私は、運転が不慣れである。そうした懸念の中、しぶしぶ運転を変わることにした。
そこは高速道路であるために、他の車はかなりのスピードを出している。しかし私は、スピードを出すことなく、できる限りゆっくり走ることを心がけていた。
時折私は、“Slower is better. It’s better for our learning and development. That is what Jean-Jacques Rousseau pointed out.”という独り言をつぶやくことがある。昨夜も就寝前に一度ほどその文言をつぶやいていた。
ゆっくりな方がいい。私たちの学習や発達においては、ゆっくりな方がいいのだ、ということを何かの拍子にふとつぶやく自分がいる。
高速道路を作ったのは誰であり、高速道路の意味を付与したのは誰だろうか。そして、その意味は時代のどのような要請からやってきたのだろうか。
高速道路の作り手、そこへ意味を付与した者、高速道路が生まれた背景にある時代の精神は言わずもがなである。それらを知っているから、自分は夢の中で高速道路をゆっくりと走ることを選択したのだと思う。
高速道路を速く走りすぎることも、遅く走りすぎることも違反であるというのは、とても皮肉なことだと思う。その夢を思い出しながら、それでも私は、できる限りゆっくりと全ての道を進みたいという思いを新たにした。2017/10/17(火)05:38
No.300: Highway and My Way I was reading my dream journal yesterday, which prompted me to remember a fragment of a dream a few days ago.
I was on a highway. I was not driving a car, but I was just sitting on the front seat.
Since it was a highway, the speed of every car was quite fast. At a certain moment, the driver asked me to drive the car.
I accepted his offer grudgingly. Although every driver was driving fast, I was driving as slowly as possible.
I often talk to myself: “Slower is better. It’s better for our learning and development. That is what Jean-Jacques Rousseau pointed out.” The monologue occurred yesterday, too.
Who constructed the highway? Who constructed the meaning of the highway? Others did.
What exists behind the meaning of a highway? An ideology exists.
I chose to drive slowly because I had my will to confront these constructions built by others and the society.
It is ironic for us that driving too fast and too slow on a highway is a violation of the law. Nevertheless, my volition encourages me to walk my own path as slowly as possible. 06:58, Tuesday, 10/17/2017