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1651. この顕現世界のドラマ

今朝の目覚めはとても遅く、起床してみると、辺りはもう随分と明るくなっていた。いつもは闇に包まれた真っ黒な朝しか見ることができないのだが、今日は薄青く光る朝の景色から一日がスタートした。

起床した時刻は朝の八時に近かった。ここ数日間、論文の執筆に精を出しており、予定通りの文章を書き終えた後に、さらに作曲を行っていたため、自然と就寝時間がいつもより少し後ろ倒しになっていた。

そうしたことが影響をして、今朝のように起床時間が遅くなってしまったのかもしれない。よくよく考えてみると、こうしたことは今朝に限ったことではなく、これまでにも何度もあったように思う。

創作活動というのは、その本質に没頭体験を持っており、その体験にひとたび捕まると、もはやその体験の外に出るのが非常に困難である。昨日も実際にそのような感覚であった。

今日は日曜日ということもあり、比較的ゆったりとした時間を過ごしたい。ふと書斎の窓の外に目をやると、小鳥の群れが目の前の木々に止まった。

気づけば、目の前の木々は葉を失い、裸になっていた。裸になった木々の枝に、10羽近い小鳥の群れが止まって休んでいる。

鳴き声を発する者、静かに止まっている者、枝から枝に元気良く飛び移っている者、一羽一羽の行動に個性がある。そういえば、ここ数日間、小鳥の群れたちが自宅の家の屋根の方に向かって飛び、屋根の方から下に降りてくる光景を目にするようになった。

もしかすると、小鳥たちは巣を作っているのかもしれない。今はもしかすると、これから暖かい地域に向かって飛び立っていくための準備の期間であるかのようにも思う。

書斎の窓の本当に近くまで鳥たちが近寄ってくることがある。数日前には、窓にぶつかることもあった。

鳥たちの様子を観察してみると、口に餌をくわえている者が何羽かいた。それを巣に持ち帰る者がいた。やはり、この時期に栄養を確保し、これから南下するための準備をしているようだ。

彼らはきっと渡り鳥なのだろう。おそらく、昨日に見た自己組織化の例にあるような隊列を組んだ飛行も、南下に向けた訓練なのかもしれない。 風が止んでいる。目の前で動いているのは、鳥たちが休む小枝の揺れぐらいだ。一者から多者が生まれ、多者が一者になるということの意味が、このところよくわかるようになってきた。

よくよく、さらによくよく考えてみると、目の前の木々に休まる個性を持った鳥たちがこの世界に存在していることは、驚愕に値することであり、とても大きな畏怖をもたらす。

それは鳥たちのみならず、木々の向こうに見える赤レンガの家々についても同じであり、それらの木々にしても同じことだ。 この顕現世界はおそらく、絶え間なく動くドラマを全ての存在に提示し続けている。そして、そのドラマには全ての存在が必要なのだと思う。2017/10/15(日)08:23

No.296: Pictorial Music I thought that I would make my music works not only musical but also pictorial. Each piece of music can be picturesque.

A musical score is a canvas, notes and musical symbols are pigments. Like drawing a picture, I will compose music.

I am sometimes struck with the beauty of musical scores when I see great composers’ works. They created not only beautiful music but also decorative paintings.

It is possible to compose music as music per se and paintings. 07:17, Monday, 10/16/2017

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