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1650. 創造から始まり、創造に還る


この二日間で5,000時ほどの論文を執筆したことに並行して、英文日記と日本語での日記が止まることはなかった。止まるというもむしろ、文章の淀みない流れが自分を取り巻いていた。

今日、グレン・グールドが演奏するバッハの楽曲を聴いている最中、バッハの音楽が白色と黄色が混じった音を立てながら、自分の頭の中を走る感覚があった。思考と自己が音になった瞬間だった。

その感覚から戻ってきた時、また自分は論文を書き続けていた。止まることを知らない淀みなき流れ。それはもう、自分の外側を流れていない。

それは確かに自分の内側を流れており、自己はその流れに他ならない。文章執筆に関する、この淀みなき流れと合一を果たすことができたらどれほどいいだろうか、と欧州での生活を始めてから願わなかった日は、一日たりともない。

もうそのようなことを願う必要などないのかもしれない。ここから願うことは、文章創造の流れとして残りの一生を全うすることだ。

創造の流れの中で生きるのでは決してない。流れとして生きるのだ。 この二日間の感覚を冷静に観察してみると、それは創造の源泉につながっている感覚だ。自分の肉体的身体の遥か彼方にある創造を司る源泉を知覚することができる。

それは当然、肉体的な眼で見ることはできないが、心眼において十分に知覚可能である。あたかも、身体でその源泉に触れている感覚があるのだ。

その色、形、質感の全ては、自分を取り巻く全ての存在の動的な変化に応じて千変万化する。それに触れているという感覚、いや、その源泉から一時も離れることがない感覚の中でこの二日間を過ごしていた。

正直なところ、まだ全くもって書き足りない。創造の源泉に繋がるというのは、このような状態を引き起こすのだ。

それでは、創造の源泉と自己が一体となった場合、自己はどれほどの創造を行うことが可能になるのだろうか。肉体的身体を取り巻く空気と同じように、創造の源泉が自己を取り巻く段階から、次はこの創造の源泉との完全なる合一を果たす段階がやってくるだろう。

それが成された時、創造として生き、創造として人生を終えることができるように思える。人間は創造から始まり、創造に還るのではないだろうか。2017/10/14(土)20:20

No.295: Music Journals Like writing a journal everyday, I want my composition works to be “music journals.”

I intend to write a music journal that is a small piece of music work. Each one of the pieces should be based on my daily thoughts and experience.

I will inspirit my conceptual, somatic, existential, and spiritual themes as a form of music. I do not have to stand ready for creating music.

What I need to do is just compose a piece of music as if I wrote a journal everyday. 17:06, Sunday, 10/15/2017

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