起床直後、心身ともに自分の調子が極めて優れていることに気づく。その充実ぶりは自分でも驚くばかりである。
今朝は六時前に起床し、六時を少し過ぎたあたりから今日の仕事を開始した。何かを創造していく活動を全て自らの仕事だと見なしているが、果たしてそれを日本語の「仕事」という言葉で表現して良いものか定かではない。
その語彙に内包される語感と自分が内側で感じていることとの間には、大きな溝がある。今朝の心身の状態が極めて良好な理由の一つに、昨日も絶えず文章を書くことの歓喜の中にいた、ということが挙げられるだろう。
昨日執筆していた論文は、「実証的教育学」の最終課題に関するものだが、それが課題だという意識はなく、文章を執筆する素晴らしい機会を提供してくれる媒介物だ、という意識の方が強い。仮にこれが課題ではなく、自分の研究主題に対する執筆であったのであれば、その歓喜の度合いは果てしないものになっていただろう。
昨夜書き留めていたように、突き抜けた歓喜の中で学術論文を絶えず執筆し続ける日はもうすぐ来る。それは必ずやって来る。
昨日、グレン・グールドのアルバムCDを25枚ほどダウンロードした。正確には、Spotifyを経由して、それらのCDを自分のアルバムの中に保存した。
昨日は絶えずグールドの演奏を聴いており、とりわけバッハの楽曲に対する演奏を延々と繰り返し聴いていた。今日も午前中はバッハの曲を中心に、グールドの演奏を聴きながら仕事を進めていく。
午後からは、昨日ダウンロードした他のアルバム曲を聴いていきたいと思う。昨日改めて驚いたのは、グールドが尋常ではないほどにCD曲を残していることだった。
バッハを中心に、同じ作曲家の同じ曲を何度も演奏し、それをCDにしている。それらの制作年は異なり、CDごとに演奏の音色も当然異なる。
グールドも間違いなく傑出した表現者であり、彼はピアノ演奏を通じて「創る人」であったのだと思う。グールドにとっては、演奏に次ぐ演奏が、創造に次ぐ創造と等しかったのだろう。
私がグールドの演奏に惹かれるものを感じているのは、彼が創ることを強く意識していた表現者だった、という点と密接に関係しているだろう。 今朝の心身の状態が極めて良好な別の理由は、昨日からいよいよ、自分の曲を自らの手で作り始めたことにあるかもしれない。論文を通じて文章を創造する喜びならず、作曲を通じて曲を創造する喜びは、何と形容していいのかわからない。
それぐらいに、曲を生み出すという創造行為には特殊な意味と力が内包されている。昨夜、結局全ての仕事を終えたのは夜の九時頃であったが、そこから一曲ほど短めの曲を作った。
作曲の熟達者から見れば、その曲は何の変哲もないものだろう。そして、作曲理論と作曲技術の未熟さが露呈しているものだろう。
だが、そうだとしても、一つの曲を作る過程で得られるあの高揚感や、自分の内的現象が曲の形になるという無常の喜びを私が感じていたことを偽ることはできない。とりあえず形となった自分の曲を何度も繰り返し聴いてしまう自分がその場にいた。
そして、就寝前にかけて、自分でその曲のメロディーを何度もつぶやいていたのである。自然言語を通じた表現活動のみならず、音楽言語を通じた表現活動が自己にもたらす影響というのは、筆舌に尽くしがたい。
両者の創造行為の持つ性質について、両者の実践を通じながら、さらに自分の考えを深めていきたいと思う。昨日は、とにかく充実した一日だった。
今日も明日もそうした日になるだろう。2017/10/14(土)06:34
No.292: Astonishment and Awe I woke up late today. It was almost 8 o’clock.
Although the today’s beginning was late, I was fortunate to see a clear blue sky in the morning.
I often see a dark sky when I wake up. Today is a little bit different.
Birds are singing on twigs of a tree. While watching the birds, I contemplated the mystery of all manifestations in this reality.
One creates many, and many goes to one. The truth makes me astonished and awed. 09:01, Sunday, 10/15/2017