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1622. 昨夜の夢と一昨夜の夢


早朝の七時を過ぎたあたりに、ようやく闇に包まれた空がダークブルーに変色をし始める。この深い青の世界は、どこか深海を彷彿させる。

深海を泳ぐ鳥は一羽も見えない。鳥たちが海を泳ぎ始めるのはもう少し後だろう。

起床直後に、少しばかり昨夜の夢を振り返っていた。私はだだっ広い宴会会場にいた。この宴会会場にどれだけ多くの人が入るのかわからないほどに大きな会場だった。

掘りごたつ式の長いテーブルがいくつもの列をなしている。私は、宴会会場の外で靴を脱ぎ、会場の入り口から最も近い列の次の列の真ん中の席に腰掛けた。

正直なところ、この宴会が何の目的で行われ、どのような人が参加するのか不明であった。しばらくすると、続々と人々がこの宴会会場に押し寄せてきた。

私のテーブル席には見知らぬ女性たちが座った。歳は同じぐらいだろうか。どうやらその方たちは、宴会の参加者ではなく、料理を運んできてくれる人たちのようだった。

私の目の前においしそうなうどんが運ばれてきた。私の左隣に座っていた女性が、このうどんの食べ方を丁寧に説明し始めた。

その説明通りにうどんを食べ始めると、今度は右斜め前に座っている女性が、この宴会の趣旨について話をしてくれた。なにやら、この宴会は同じ趣味を持つ人たちの集まりらしい。

テーブルの列ごと、厳密にはテーブルの一角ごとに異なる趣味の人たちが座り、そこで交流を図ることが目的になっているとのことである。しばらく時間が経っても、私が座っているテーブルの一角には誰もこなかった。

そこで私は、他のテーブルの人たちがどのような趣味を持っているのかに関心があったので、各テーブルの様子を伺いに行くことにした。世の中には、実に変わった趣味を持つ人たちがたくさんいるのだと改めて知った。

様々なテーブルに行き、そこでなされている会話に興味深く私は耳を傾けていた。しばらくしてから、私はこの宴会会場を後にすることにした。

宴会の場で食べたのはうどんだけであり、飲み物はお茶しか飲んでいなかったように思う。会場の入り口から外に出ると、テーブルごとの趣味の一覧が、大きな木製の板に刻まれている光景を目にした。

無数にある木製の板の一つ一つを眺めていると、静かに夢から覚めた。 昨日の夢が引き金となり、一昨日の夢に対してどのような解釈ができるかを少し考えていた。一昨日の夢は、空港と併設した大きなショッピングセンターに足を運ぼうとしていた内容であった。

あの夢はどこか、異国の地での生活の見えない困難さを物語っているような気がしてならない。国際線に乗る者の道と国内線に乗る者の道の長さが異なり、道の傾斜角度があれほどまでに異なっていたのだ。

多くの人は国内線用の道を歩き、なぜだか私だけが国際線用の道を歩いていた。国際線の乗客用のビルの中で乗ったエレベーターも様々なことを暗示している。

そのエレベーターは、想像以上に高い場所に一気に向かっていった。目的地の場所が何階にあるのかがわからず、途中で降りる階も見つからない。国外での探究生活は、多分にそのような性質を内包している。

行き着く先の究極的な地点など見えず、どこで腰を落ち着けるかの地点もままならない。また、あのエレベーターが尋常ではない速度で上昇していたように、私の内側を流れる時間や内面の成長を外側から強制的に加速させようとする力を感じることが多々ある。

そうした様子は、まさにあの夢が描いていた通りである。さらに、エレベーターの速度と高さにいてもたってもいられなくなった私が降りた階の光景も印象的だ。

そこで見た光景は、とてもありふれたものであり、落ち着いたものだった。

エレベーターを降りたのは36階であった。36年後、私は67歳になる。そこで初めて異国の地での生活を終えることになるのだろうか。

あるいは、エレベーターが出発して初めて見えた69階、つまり69年後の100歳になった時に初めて、この異国の地での生活に終止符を打つのだろうか。それらのどちらが実現するのかは、今のところ全くわからない。

あるいは、それら以外の終わり方をするかもしれない。ただ一つ明確に言えることは、異国の地での生活は、高いものに向かって長く険しく伸びていく、果てしない道だ、ということである。2017/10/5(木)07:52

No.267: Connections with Humans and Places We may often think of human connections, but how about connections with places?

I sometimes cannot help but think of such connections with places in this reality.

Before starting my life in Groningen, I lived in Tokyo, Los Angeles, New York, and San Francisco in the last five years.

My attachment with those places is strong. Whenever I determine to take on new challenges, the right place always shows up before my eyes.

It is almost impossible to elucidate the mechanism of this phenomenon, but it occurs to me at the important moment in my life.

All of the places that I need suddenly appears with some reasons at the right moment.

I have no other choice but to think that we are always living with the grace of connections with humans and places. 08:49, Friday, 10/6/2017

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