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1600. 差異


濃い霧が辺りを包むフローニンゲンの早朝。今日はてっきり土曜日だと思っていたが、どうやらまだ金曜日らしい。

なぜだか内側の感覚が週末固有のそれのような気がしていた。今、何気なく「週末固有の感覚」と書いたが、それはどこからやってくるのだろうか。

実際のところ、私の日々は平日も週末も対して変わらない。日々の過ごし方においては、平日も休日もほとんど変わりのないはずなのだ。

今朝は外側の景色を見て、土曜日のような感じがしていたことに気づく。何か特定のものを見てそう思ったというよりも、外的環境の全体を見てそのように思ったのである。

そして、外的環境からもたらされたその感覚が内側に大きな影響を与えているようだった。そこからさらに、喚起された内的感覚が新たな行動を生み出し、あたかも今日が休日であるかのような振る舞いを外的環境に対して行っていた。

ここからも、内側の世界と外側の世界が不可分に結びつき、影響を与え合っていることがわかる。白く深い霧を見ながらそのようなことを考えていると、昨夜の就寝前に、差異について考えていたことを思い出した。

日々私が行っている諸々の探究活動は、意味にせよ中身にせよ、とても小さなものである。ただし、それらの一つ一つの行動には独自の意味があり、絶えず新しい意味を作り出していく力を持っている。

作り出される意味の単位は極めて小さいが、それが日々着実に積み重なっている。生み出される一つ一つの意味に焦点を当ててみると、常に微細な差異がそこに存在していることがわかる。

新たな発見や新たな気づきがなかった日など一度もないことを考えてみると、微細な差異の存在は一目瞭然となる。私の日々の活動は、つまるところ、差異を生み出しながらそれに気付いていくことなのかもしれない。

昨夜考えていたのは、こうした差異の積み重ねは、長い年月を経てみた後に、驚くほど巨大な建造物を生み出すということである。自分の内側に生じる差異に絶えず気付き、それに形を与え続けていくこと。

形となった差異が共通部分で組み合わさり、また異質の差異を招き入れていく様子を内側の世界に見て取ることができる。逆に、形となった差異が相違部分で組み合わさり、その塊が同質の差異を招き入れていく。

異質の差異と同質の差異という言葉は一見すると不可思議に見えるが、差異をそれぞれ比較してみると、互いに異質なものと同質なものに分けられる確かな感覚がある。今日も絶えず小さな差異を生み出し、それらに気付きを与えていくことになるだろう。

差異を自発的に作るということ、差異に気づくということ、気づいた差異に形を与えること以外に自分がするべきことはないようにすら思える。それほどまでに、差異というのは私にとって大切だ。2017/9/29(金)07:33

No.245: Pursuit of the Quality of Memories Having a physical distance from my mother country, a mental distance between Japan and me becomes close.

It is true to the distance between my family in Japan and me. I have recently often recollected old memories of the time with my family.

I already know that I do not have many opportunities to spend time with my family. Thus, I cannot collect many new memories with my family from now, but I can deepen each new memory.

I believe that it can enrich my previous recollections of the time with my family. I pursue not the quantity but the quality of memories. 09:08, Saturday, 9/30/2017

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