幸運にも雨に見舞われることなく、先ほどランニングを行うことができた。早朝の予報では昼前から小雨が降る予定だったのだが、天気の様子を実際に確認して、なんとか大丈夫だろという予想を立てて、ノーダープラントソン公園へランニングに出かけた。
私はランニングの最中、身体の内側の感覚に焦点を当てていた。すると、身体意識への気づきのみならず、ランニング中のモニタリングプロセスが文章を執筆している時の感覚に近いことに気づいた。
ランニングの最中は、とりわけ身体の内側の感覚を心眼で眺め続けるようにしているが、身体感覚のみならず、当然ながら思考へも気づきの意識が当てられる。文章を執筆している最中は、より思考への気づきの意識が強くなり、それでいて身体感覚へも意識が向けられていることが多い。
そのようなことを考えてみると、ランニング中は、文章を執筆している時とは意識の向かう先が若干異なるだけであり、結局同じようなセルフモニタリングを行っていることに気づく。逆に、文章を執筆している最中も、ランニングと同様の事柄を行っていることに気づく。
そうなると、文章の執筆もランニングも、私にとってはどちらもメタ認知運動だと言えるかもしれない。そのようなことを考えながら、今日のランニングに従事していた。 午前中、「実証的教育学」のコースで課せられている今週の課題をこなした。今回の課題もグループワークであり、「実証データに基づいた教授法は教育の質を高める」という主張に対して賛否の意見を500字ほどでまとめるという内容だ。
この主張に対して賛否のどちらの観点も盛り込むために、課題論文をもう一度読み返し、ドラフトを作成した。この課題を共に取り組んでいるのは、先週と同じく、元教師のキルステンである。
彼女はとても優秀であり、グループワークを進めやすい。こちらの提案で、500字というそれほど長くない文章であるから、お互い別々に意見を書き、それを明日中に共有し、お互いの意見を統合することにした。
今朝方、無事にそのドラフトを執筆したので、夕方に寝かせた文章を読み返し、修正後、キルステンに共有しようと思う。ランニング前にもう一つ取り組んでいたのは、「学習理論と教授法」のコースで課せられている最終論文である。
こちらもグループで論文を執筆することが要求されており、自分の担当箇所の文章の構成を練った。今日はこれから、出来上がった構成に対して文章を肉付けしていきたいと思う。
グループのメンバーは私を含めて四人であり、その他の三人はそれほど学術論文を書き慣れていないようである。そのため、自分の担当箇所の執筆のみならず、全員の文章のレビューと私たちの論文の内容をまとめたPPTを自分が作成することにし、最終回のクラスでのプレゼンも私が行うことにした。
こちらのグループに関しては、少しばかり意識的に率先して舵取りをしていく必要がありそうだ。2017/9/28(木)13:26 No.243: Time, Time, and Me I have totally forgotten how and when today began.
My sense of time has recently completely altered in an atypical way.
Have you ever gotten stuck and immobilized in the abyss of time or in a rift between time? The “Yes” answer is an invitation letter to become my friend.
I believe that I am not the only person who has fallen into the depth and edge of time. 20:22, Friday, 9/29/2017