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1594. 長い冬の時代の中で


正直なところ、抑うつ的な天気の中で憂鬱感を感じられたということは、とてもありがたいことに思えた。そうした気分を感じさせてくれるこの季節を私は長らく待っていたからだ。

思い返してみると、夏季休暇の二ヶ月半の期間、私の日々はとにかく一定に進んでいた。終着地点など意識することなく、しかし一つの点がどこか究極の地点に向かって、静かな上下動をしながら移動している様子を見て取ることができた。

一つの点が、一日、また一日と行くべき場所に向かって小さな振動を伴いながら動いていくような日々が、夏季休暇の二ヶ月半だったと言える。その最中においては、自分の内面世界はとても穏やかだったように思える。

動いている点は自己ではなく、水面を移動する波紋のようなものであり、自己はまるで水そのものだった。そこから秋に入り、天候の変動が激しくなった。

夏季休暇の最中も、ひょっとすると天候が目まぐるしく変わっていたのかもしれないが、寒さや鬱蒼とした天気が襲うことはなかった。今、雨風のみならず、寒さと鬱蒼とした雰囲気が加わることにより、フローニンゲンの天気はよりいっそう彩り鮮やかなものになり、一方でより厳しさを増した。

水面を移動する点、そして水そのものが、こうした厳しい天候を必要とする時期に入ったのである。あの夏の二ヶ月半の間に培ってきたことをさらに成熟させるためには、それらを自己の深層で一旦凍結させる必要がある。

それを可能にするのがまさに、この外側の天候の厳しさであり、それが引き起こす内面の天候の厳しさだ。ここからまた長い冬の時代に入る。

過去の日記を読み返してみなければうる覚えだが、今年は四月になってもまだ寒さが残っていたように思う。いや、五月の半ばにフローニンゲンで行われた学会の際にもまだマフラーを巻いていたことを思い出すと、こらから始まる冬は一体どこまで続くのだろうかと思わされるほどだ。

こうなってくるともはや、どこからどこまでが冬などというように区切る必要さえないように思われてくる。ここで過ごす生活全体を冬だと括った方が早いかもしれない。

そうした絶え間ざる冬の時代において、準備に準備を積み重ねることが今の自分がなすべきことである。その準備の一つ一つが、内面世界の春の足音に他ならないことを自分は知っている。

その音を頼りに、これからの長い冬の時代を過ごしていこうと思う。2017/9/27(水)15:24

No.239: Self-monitoring in Writing and Running I fortunately could run before it began to rain.

While running, I was monitoring any feelings within my body. The flow of the feelings was generally constant, but it always included subtle differences.

The process of monitoring somatic feelings is similar to that of monitoring thoughts by writing.

Since both processes monitor thoughts and feelings, I cannot completely separate them.

Both writing and running might have the same self-monitoring effect on me. 13:04, Thursday, 9/28/2017

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