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1575. 科学研究と主観性


科学研究を進めていく上で様々な方法を選択する場面に直面するたびに、どの方法を活用するのが最も望ましいかを考える。昨年の自分の研究を振り返ってみると、獲得したばかりの研究手法を実際に活用したいという思いが先行することがよくあった。

その結果として、実際にはより優れた手法があったとしても、自分が活用したいと思う手法をついつい選びがちな自分がいた。また、研究を進めていく上で参考にする既存の理論や概念の選択、先行研究の調査に関しても、自分の中の様々な思いを抜きにしては語ることができない。

つまり、科学研究において、適用する研究手法や理論を選ぶ際に、主観を避けることなどできないのだということに突き当たる。もちろん、私が昨年に陥っていたように、研究手法に対する望ましくない固執は避けようがあるが、究極的には研究手法の選択には必ず主観が入る。

科学研究が客観的なものだと主張する人をよく見かけると、実際のところ、科学研究は完全に客観的ではない。また、完全に客観的でありえない。

これは手法や理論の選択のみならず、研究結果の解釈の際にも同様のことが言える。科学研究に主観が必ず混入するということを考えてみた時に、重要なことは二つあるように思える。

一つは、主観性を排除することに尽力するよりもむしろ、研究手法や理論の選択、さらには研究結果の解釈に関して、当該研究領域のコミュニティーの確認と承諾を得られるような説明論理を組み立てていくことだ。

科学研究の一つの重要な目的である、新たな知を生み出すことに関して、とりわけ共同体の中の確認と承諾を得ることが、ある意味客観性を担保することにつながる。研究手法や理論の選択、研究結果の解釈に関して、そこにねじれた主観性が混入していないかどうかを検証するために、共同体の視点を取り入れることは重要になるだろう。

現在行っているように、論文アドバイザーとの対話や、学会において他の研究者と対話をすることは、自分の研究に混入している主観性を検証することにつながっている。科学研究において他の研究者やコミュニティーと対話することの意義はここにあるだろう。 もう一つは、主観の先を求めて、主観性をさらに深めていくということにある気がしている。研究手法や理論の選択、結果の解釈に不可避に混入する主観性を歪曲するのではなく、むしろ深めていくのである。

この場合、主観性というのは研究者としての思想を指す。様々な研究者と話をする中で改めて思うのは、どの研究者も自分の思想を持っており、実績のある研究者であればあるほどに、強い思想を内に秘めているということだ。

研究の出発点、さらにはその出発点からの歩みの全てが、思想の産物だと言っていいほどである。研究テーマの設定はもちろんのこと、研究手法や理論の選択、結果の解釈に至るまで、どれもがある特定の思想を通じてなされる。

この点について考えてみると、研究者としての思想を育み、それが主観的な思想から脱却し、普遍的な思想に到達するまでに思想を深めていくことが大事になるのではないかと思う。また、研究者という個人の次元のみならず、ある特定領域の科学研究を行う共同体の次元で考えてみた時に、そこで共有されているのは集合的な思想である。

それをパラダイムと呼ぶこともできるだろうが、結局、集合次元においても、目には見えない思想によって科学研究が影響を受けていることは確かだろう。上記のようなことを考えていると、科学研究というものが客観的だというのは、随分と間違った解釈だということに気づく。

科学研究には主観性が不可避に混入し、科学研究は研究者個人の思想と共同体の思想の産物だと言えるのではないだろうか。2017/9/23(土)06:33 No.221: Cyclic Emulation of Great Composers I decided to emulate the works of the following composers in a circular way: (1) Edvard Grieg, (2) J. S. Bach, (3) Wolfgang Amadeus Mozart, (4) Ludvig van Beethoven, (5) Franz Schubert, and (6) Muzio Clementi.

I purchased their musical scores before. I used to think that it would be the best to follow Grieg’s works first because he has strongly inspired me since I visited his museum in Norway.

However, I did not want make my compositional style inclined toward one composer. Hence, I determined to cyclically follow the works of the composers mentioned above.

Of course, I want to add more great composers that have inspired me, but it would be wise to focus on the works of the six composers.

I should be careful with referring not to a whole piece of work but to a certain amount of measures of the work——the maximum measures might be 64.

The amount would be enough to grasp the unique flavor of their music styles and philosophy. 19:40, Saturday, 9/23/2017

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