漆黒の闇に包まれた日曜日の朝。今朝は五時半に起床し、今日が日曜日であるということを忘れてしまうぐらいに、内側も外側も平日と全く変わらない。
ただし、今日は少しばかり、外の世界の闇の光沢の美しさに息を飲んだ。辺りにまだ街灯だけしか灯っておらず、その光だけが目にみえる。
その他には、街灯に照らされた木々がうっすらと見えるぐらいだろうか。フローニンゲン大学での二年目のプログラムが始まってからの最初の日曜日を迎えた。
起床直後に普段と同じようにお茶を入れた時、今日は学術研究に関する専門書や論文は一切読まないようにしようと思った。実は昨日の夜に、今日は午前中だけ専門書や論文を読もうと思っていたのだが、それすらもやめて、今日は専門書や論文からはあえて離れる。
このあえて離れるということがどれほど自分にとって苦しいことか。学術研究とは一日たりとも離れられないという性分を持ち、そこに向かわせる衝動が内側にあるのを知っている。
だが、あえて離れるのだ。オランダでの二年目の生活では、日曜日だけは学術研究からあえて離れるという、自分にとって最難関なことに挑戦してみたいと思う。
以前の日記の中で、「対象の深くに入り込むためには一度対象から離れる必要がある」ということを書いていたように思う。まさにそれを実行するのである。
対象から一度距離を取ると、不思議なことに、次に対象と向き合う時、これまでは見えなかった視界が広がっていることが往々にしてある。よくよく考えてみると、これは納得のできることだろう。
対象から心理的にも物理的にも距離を取ると、離れた地点に一度私たちは立つことになる。対象から離れられないでいた時には、対象との間に距離がないために、見える視界がどうしても限定されるのだ。
対象と距離を取り、再び対象に帰ってくる時には、その地点から対象を一度眺め、そこから対象に戻るまでの全景色を眺めることができる。その過程で得られるものが計り知れないのだ。
また、対象と距離を取るというのは、対象と自己との間に探究空間なるものを生み出す気がしてならない。これは対象に対する考えを深めるために非常に重要な空間である。
なぜなら、対象と自己との間に存在するこの空間が、対象のさらなる理解につながる無数のアイデアを生み出すからである。探究空間は一見すると何もないスペースのように思えるかもしれないが、それは誤解であり、有で満たされた豊かな無の空間なのである。
この空間から対象に対する思考や感覚が無数に溢れ出すのである。ここまでのところ、簡単に対象からあえて離れることの意義を自分なりに書き出してみた。
もう一つ重要なことを付け加えるならば、対象と離れることは、対象を寝かせるという意味で大切だ。言い換えると、探究を熟成させるという意味でそれは非常に大切なのだ。
ある対象を深く理解するためには、どうしても時の発酵過程に自らの探究を晒す必要がある。その一つの手段がまさに、探究対象から一度距離を取るということなのだ。
対象から距離を取ることの大切さをいくつか列挙してみた後に思うのは、それでも自分が学術研究からたった一日でも距離を取ることが難しいということだ。正直なところ、やはり今日も学術研究から離れることはできないかもしれない、という弱気な力強い気持ちを自分の内側に感じる。
学術研究というものがもはや単なる仕事なのではなく、自分の人生そのものなのだということを実感する。自分の人生そのものから離れることはひどく難しい。
抑えることのできない探究衝動をあえて抑圧する必要はやはりなく、午前中だけ専門書を読み、午後から就寝にかけては作曲実践を行い、久しぶりに和書を読むことにしたい。半日ほど学術研究から離れることからまずは実践に移す。
一日離れることは今の自分にとっては刺激が強すぎるようだ。その刺激に耐えられるようになるには、半日離れるということをしばらく続ける必要があるだろう。2017/9/10(日)
No.173: A School Improvement Plan I participated in the first class of “Evidence-Based Education” in the morning.
Almost all of the contents in this course are closely linked with my work as a researcher and consultant.
Although my current interest is adult education, it is a good opportunity to focus on primary and secondary education through this course.
Since human development is a comprehensive process from birth to death, I need to deepen my understandings of child education.
The final assignment in this course looks intriguing. It requires to develop a school improvement plan for a case study that represents a realistic school quality issue.
I intuitively came up with an idea of gifted education in a school. The term “gifted education” has recently been paid attention to in Japan, but I can imagine that most schools are confronting an implementation issue about how to incorporate gifted education in school.
My aim in this improvement plan would be providing (1) scientific evidence of the effectiveness of gifted education, (2) a strategic implementation plan, and (3) evaluation of the plan. I will elaborate my thoughts on this assignment this weekend. Wednesday, 9/13/2017