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1487. 自己創出的・自己建築的な運動を促進する手段


昼食後、午前中に引き続き、科学研究における実験デザインと因果関係の推論に関する専門書を読み進めていた。フローニンゲン大学での二年目は「実証的教育学」というプログラムに所属し、子供の教育や成人教育の研究をより科学的に実施していくための知識と技術を獲得することを狙いとしている。

プログラムの開始は来週からであり、実際にクラスが始まるのは再来週だが、すでに課題図書が明らかになっているものは事前に入手し、学期が始まる前に少なくとも一読している状態にしておきたい。私は活字情報を理解するのが苦手であり、文字を書物から読み解くのに多くの時間がかかる。

だから毎日膨大な時間を専門書や論文を読むことに当てているわけであり、学期が始まってから課題図書に目を通すようでは遅すぎるのだ。成人が大学院に所属して何か学びを深める時、それは各人相当強い動機を持ってそこに所属しているはずであり、そうであれば、学期が始まる前に全ての課題図書に目を通すことが最低限の準備であり、学ぶことに対する最低限の礼儀だと思う。

午前中と午後にかけて読み進めていたのは “Experimental and Quasi-Experimental Designs for Generalized Causal Inference (2002)”というテキストであり、最初の章は丸々因果関係の議論に当てられている。因果関係についてはこれまでも研究を進める中でたびたび自分でも考えることのあったテーマだが、考えるたびに奥が深い論点だと思う。

今日はとりわけ、因果関係を巡る哲学的かつ科学的な論調に触れることが多く、頭を悩ませながらも、様々な発見がうっすらと自分の身体に入っていくような感覚があった。こうした感覚は、とりわけ未開拓分野の学習の初期に起こる現象であり、「因果関係」に関する知識と経験のネットワークはこれから密なものにしていく必要があるということを再度自覚した。

本書をしばらく読み続けた後、全く関係のない論点に思考が飛んだ。それは、能力の成長にせよ、器の成長にせよ、人間の成長は自分の内側に、目には見えないものを積み重ねていくプロセスである、というものだ。

ここで述べている目には見えない何かとは、私たちの知識や経験である。私たちが器にせよ能力にせよ、内面的に成長していくというのは、目に見えるものをどこかに積み重ねていくわけではないのだ。

例えば、何かしらの能力を鍛錬するために実践を行った後に、積み木のような物体が目に見える形でどこかに堆積していくわけではない。人間の成長は常に、目には見えない知識と経験をネットワーク的かつ構造的に積み重ねていくプロセスなのである。

それでは、私たちが成長を実現させていくために必要なことな何なのだろうか、という点を改めて考えていた。要諦は、そうした目には見えない知識と経験を何らかの手段を通じて形として内側に構築していくことだ。

つまり、不可視のものを何かしらの表現手段を通じて可視化させていくのである。その手段は人それぞれであり、自らが実践や何らかの体験を通して得られた知識や経験を音楽や絵画として形にしてもいいが、誰にでも取り組むことのできる手段は文章を書くことだと思う。

知識と経験のネットワーク的かつ構造的進化が持つ興味深い特徴は、それらがひとたび形になると、その建築物がまた新たな知識と経験を呼び込むことだ。言い換えると、何かしらの表現手段を通じて、ネットワーク的かつ構造的に建築された知識と経験の建造物は、新たな建築素材を自発的に求めるのである。

そしてそこでまたそれを形にする作業に取り組むことによって、建造物がより高度かつ堅牢なものとなり、それはまた新たな建築素材を求めるのである。終わりなき建築運動がここにある。

私たちが何か能力を涵養したいと考える場合には、この建築運動を活性化させるために、知識と経験を形にしていく作業が不可欠なのだと思う。形にしなければ、建築物が新たな素材を求める動力は弱体化していくのである。

作曲家のエドヴァルド・グリーグや画家のエドヴァルド・ムンクが貪欲に日記を書き続けていたのはまさに、彼らの芸術領域における技巧をより洗練された構築物にしていくための実践だったのだ。形は形の無いものを呼び込み、それを形に変えていくという自己創出的かつ自己建築的な運動を行う習性を持っているのである。

そうであれば、能力の深みや高みに至るために不可欠なそうした運動を健全に推進していくためには、何はともあれ知識と経験を形にしていくということを行わなければならない。2017/8/29(火)

No.133: Self-Authoring and Our Life Who can live his or her own life without self-authoring?

Authoring ourselves is the gist of living our own life. Hans Jaeger, a Norwegian writer, articulated the importance of self-authoring.

I think that most modern people relinquish the attempt to discover their own meanings of their life, indulging themselves in concocted meanings made by others or society.

Of course, the meaning of our life is socially woven, but the author should be ourselves. Saturday, 9/2/2017

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