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1483. 花火大会と夢


昨夜は就寝中に花火が打ち上がった。夜の十時を迎えたところで花火大会が始まるとは思ってもおらず、随分と遅い時間に花火が打ち上げられるものだと思った。

前回は確か、夏季休暇に入る頃に一度花火大会があり、その時も就寝中だった。あの日は最初何の音か分からず、それが花火と気づいてからもしばらくベッドの上にいて、久しぶりに花火を見ようと思って寝室を後にすると、ちょうど最後の花火が地上に落ちていく姿だけを見ることができた。

昨夜はすぐにそれが花火だと気づいたが、それほど大きな関心を示すことなく、結局花火を見に書斎に戻ろうとは思わなかった。というのも、寝室で花火の音を聞きながら、昔地元で見た花火大会の記憶を思い出すだけで十分だったからである。

今この瞬間に打ち上げられる一つ一つの花火の音を聞きながら、私は以前地元で見た迫力のある大きな花火の記憶を一つ一つ思い出していた。花火が夜空に打ち上がり、それが満開に開くときのあの迫力のある姿と全身を打つ力強い音の波。

花火を近くで目の当たりにしていたときの一つ一つの記憶が蘇り、あの時の光景はまるで宇宙の誕生の瞬間に出会っているようだった。人はそのような瞬間に出会う時、言葉を失ってただその瞬間にたたずむのだと思う。

数十分ほど続いただろうか、最後の花火が打ち上げられた後、再び静寂な夜の世界が戻ってきた。そこから私は安らかな眠りについた。

昨夜の花火は、何かを暗示しているように思える。それは私の人生における新たな始まりを祝ってくれているかのようであり、励ましをもたらしてくれるかのようであった。 昨夜の花火によって睡眠時間がいつもより数十分ほど遅くなったが、起床時間は五時半を少し過ぎた頃だった。心身の調子がいつも以上に良好であり、今朝も早速仕事に取り掛かることにした。

一日の仕事に入る前に、昨夜見た、それほど印象の強くない夢について思い出していた。ここ最近は夢を見ていないため、昨日はそろそろ夢を見るかもしれないということを偶然ながら日記に書き残していたが、本当にその通りになった。

この夢はそれほど強い印象を持っていないが、記憶の中に確かに留まり続けているため、少し書き留めておきたい。夢の中で私は、米国西海岸ロサンゼルス近郊の日本食レストランにいた。

ここはバイキング形式で食事をすることができ、レストランで働いている人は全て日本人だった。私の周りには知り合いは誰もいなかったため、自分はこのレストランに一人で来たのだということを知る。

調理場が見える場所にバイキングの料理が並んでおり、一番右端にある料理を取ろうとした時、調理場の女性が私に注意をしてきた。 調理場の女性:「あっ、すいません。自分の箸ではなく、取り箸で取ってください」 その言葉に対して、私はまだ自分の箸を一度も使っていないことを伝えると、その事実に対して調理場の女性は安堵の表情を浮かべた。ただし、そこからは自分の箸を使うのではなく、取り箸を使って料理を自分の皿に盛っていくことにした。

その料理から順番に左に動いていくと、一人の男性が調理場の男性に質問をしていた。どうやら何か特定の料理が食べたいらしく、それがどれなのかわかないようだった。

二人の会話の様子を見ていると、質問をしている男性は生粋の日本人であり、駐在員か何かだと思った。一方、調理場の男性は日系か米国で生まれ育った日本人だとわかった。

調理場の男性は、質問を受けた食べ物の日本語を知らないようであり、その客の質問にうまく答えることができていないように思えた。 調理場の男性:「その食べ物の名前は聞いたことがなく、あるのはこの三つだけです」 日本で長らく生活をしている者からすると、この言葉は少しばかりぶっきら棒のように響くかもしれないが、この国のこの場所では全くおかしくない率直な表現だった。質問をした駐在員らしき日本人男性も諦め、しぶしぶその三つのうちの一つの料理を皿に盛っていた。 その後私は、旅先のホテルの朝食のように、しっかりと食事を摂るべく多くの料理を自分の皿に盛っていった。そこで夢から覚めた。

実際には、夢の中で調理場の女性と日本語であれこれと話をしたり、飲み物を自由に取ることができる機械の具合がおかしかったり、間違えて熱いお茶を少し入れ、その上に冷たいお茶を入れたりするということがあった。

いずれにせよ、昨夜の夢を書き留めてみると、その印象が少しばかり強くなったような気がした。とりわけ、客の男性と調理場の男性とのやり取りは、何か重要なことを暗示しているように思える。2017/8/29(火)

No.129: Our Clock We do not need a clock that somebody made for us. However, we need one that we made for ourselves.

Time passed quickly, but I felt that the lapse of time generated from my clock.

As I mentioned, making our own clock is important, but a more essential point is forgetting to have the clock that we made.

Who cares about time if he or she genuinely lives at that moment? A person who can live in the timeless world does not need a clock per se. Friday, 9/1/2017

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