昨日、オンラインゼミナールのオフィスアワーの中で芸術に関する大変興味深い対話がなされた。参加者の方の一人が、ニューヨーク近代美術館で開発された「ヴィジュアルシンキングストラテジー」という手法について教えてくれた。
これは絵画を通じて探究心を育み、絵画そのものへの理解のみならず、自己そのものの理解を深めていくことに有益な興味深い手法である。この手法はそれほど難しいものではなく、絵画を見ながら数個の軸に沿って自らに質問を投げかけていくことだけを要求する。
この手法に関する話を聞きながら、デンマークやノルウェーで訪れた美術館での自分自身の体験を振り返っていた。振り返るというよりも、それは即座な気づきとして、私もこの手法に似たことを、知らず知らずのうちに自らに課していたことがわかった。
おそらくこの手法を活用すれば、あるいは自分の中で意識的に問いを立てることを実践しようとすれば、どんな作品に対しても多くの問いを立て、作品から意味を汲み取り、それが自己のさらに深い理解につながっていくのだと思う。
しかし、両国で訪れた美術館の中で問いが立つ作品と問いが立たない作品があったのは、紛れもない事実であった。それら二種類の作品の違いは何なのだろうかと考える。
一つの作品を見ることは、やはり一つの貴重な出会いなのだと思う。全ての作品に対して無理に問いを立てるのではなく、大切な出会いをもたらした作品と真摯に向き合い、その中でその作品に対して問いを立てていくという姿勢をこれからも貫きたいと思う。
作品鑑賞はまさに作品との対話であり、私たちが真にその作品と出会い、作品と真剣に向き合う時、問いが問いを生み、その循環過程が自己を深めることにつながるだろう。これは何も絵画のみならず、音楽にも当てはまる。
今書斎に流れるバッハの曲には、私たちの理解を超えるような重層的な意味が内包されている。一つ一つの絵画作品と楽曲は、本質的に意味の玉手箱だと形容できる。
その玉手箱を開けるための鍵が必要なのだ。それは私たちから投げかける問いである。作品に内包された豊かな意味を汲み取るためには、問いが必要なのだ。
絵画や音楽を鑑賞している時、しばしば自己が捉えられるような感覚に陥ることがある。この感覚は、先日の北欧旅行でも感じたことである。
オフィスアワーの中である方が「絵の中に自分がいて、自分の中に絵がいる感覚」ということを述べてくれた。まさに、これが二元論的な作品鑑賞を超えた真の芸術体験であるように思う。
自らを捉えて離さない作品と真に出会う時、私たちは問いを投げかけるよりも先に、その場で宙吊りにされるだろう。ムンクの『太陽』という作品を通じて得られた体験はまさにこれだった。
それは、言葉を生み出そうとする自己の表層部分を否応なく黙らせる。魂が共鳴する作品は、自分が表面的な言葉を投げかけることを極度に嫌がるのだ。だから私たちを一旦黙らせるのである。
その場で宙吊りにされた私たちは、自己の深層部分に辿り着くことを余儀なくされる。その過程で起こっていること、それは「言葉の断食」であろう。
新たな自己を開く深層的な言葉を紡ぎ出すためには、言葉の断食が必要なのだ。自らの存在と共振するような芸術作品は、言葉の断食を私たちに突きつける。
言葉の断食を経て、自己の基底にたどり着いた後、自然と問いが滲み出す。あの時の体験を振り返ると、まさにそのようなことが言えるだろう。
自己の深層から自然と問いが滲み出すと、後は洪水のように問いが生まれ始める。問いが問いを生み、自己が自己を開いていくという現象が起こるのだ。
そう、それは「発達(development)」の語源である、フランス語の “desvolper”が象徴するように、自己を真に「開く」ということなのだ。2017/8/26(土)
No.119: Towards the Integration of Jazz and Class Music in My Music Composition I wan to compose a piece of piano music with a slow speed probably because I feel an affinity with the flow of time with a slow tempo. Since yesterday, I have begun to take a MOOC offered by Berklee College of Music. This course is the introduction of music theory.
I have already completed the first two lessons among six, and I feel it as a great course to brush up my previous knowledge about music theory. The instructor is very emotionally and intellectually——or even spiritually——approachable to me. The instructor embodies a unique flavor and rhythm of jazz. I am not conversant with jazz music, but I think it is fun to incorporate rich aspects of jazz music into my music composition.
How wonderful it is to compose music integrating jazz and classic music. Wednesday, 8/30/2017