
北欧の旅の空の下で思いを巡らせた様々なことが、近くて遠い思い出の中に溶け込んでいく。晴れ渡る北欧の雄大な空、雲に覆われた北欧の憂鬱な空。
どんな日であっても、私は何かを考え、何かを感じながら、その日を自分の人生における真の一日にするために生きていた。薄い雲がフローニンゲン上空の空を覆っている。
カラスが赤レンガの家々の屋根の上を飛び去っていった。目の前の木々がさわさわとした風に揺られている。それら全体は、まるで鎮魂歌を奏でているかのようである。
オスロのホテルに宿泊中、ムンクの日記を読んでいると、彼の死生観について記述されている箇所を見つけた。「私たちは死なない。世界が私たちから死んでいくのだ」という一文がとても印象に残っている。
私たちの肉体は確かに朽ち果てる。しかし、私たちは死滅することのない永遠性が宿ったものを持っているのだということを忘れてはならない。認知世界が私たちから消え去っていったとしても、それは久遠なものとして残り続ける。
欧州での生活を始めて以降、悠久の世界に足を踏み入れながら仕事に打ち込んだ過去の偉人たちを何度も目撃してきた。それを目撃するたびに、人は永遠な存在となり、人がなす仕事も久遠なものになることを知った。それは人間存在の自明な真理ですらあるように思える。
今日から再び自分の仕事に着手する。人間存在の成熟過程を考究することが自分の仕事であるから、作曲家のエドヴァルド・グリーグの自伝を読むことや午前中に作曲の学習を進めることも重要な仕事の一つである。
昼食前の二時間ほどを使って、以前受講していたMOOCの作曲講座をもう一度視聴したいと思う。全六回のクラスで構成されている本コースを、今日から再び一回のクラスずつ進めていく。
自分の内側の思考と感覚を自由自在に曲として表現するまでの道のりは長い。日本語を書くときでも英語を書くときでも、内的現象を文章で表現するためには語彙と文法が必要となる。
作曲に関しても全く同じであり、今の私は曲を作るための語彙と文法の基盤が脆弱すぎるのだ。音楽を鑑賞するためや音楽を語るための知識は一切いらない。そのようなものは自分にとっては全く不要である。
とにかく、自分で曲を生み出すための語彙と文法を獲得したいのだ。一日一枚のデッサンを描くかのように、一日一曲を作りたい。
目の前に物がなくても、心の眼や魂の眼を通してデッサンをするように曲を作りたい。その日のその瞬間に自分を捉えて離さない心象風景と魂象風景を曲として残していくのである。
その日に向けて絶えず作曲の学習と実践を続けたい。その過程において、ムンクの「文芸日記」にならい、「作曲日記」を書いていく。
これは作曲の学習と実践の過程で得られたことを書き留めることのみならず、それよりもむしろ、曲の題材となる心象風景と魂象風景をまずは言葉の形で残しておくためにある。
日記は学術的・芸術的な試行の場であり、その日を確かに生きていたという存在の記録となる。自分にとって日記はそのためだけにある。2017/8/18(金)
No.89: Reflective Repetition for Learning and Development Mere repetition cannot lead to meaningful learning. As a result, this kind of learning cannot foster our development.
Transformative learning requires reflective repetition. One of the essential characteristics of dynamic systems is recurrence; dynamic systems evolve through repetition.
However, we have to be careful that recurrence in the context of learning has two meanings: (1) mere repetition without reflection and (2) reflective repetition.
Needless to say, only the latter facilitates our learning and development. Thursday, 8/24/2017