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1442. 時の最果てと陰陽的言語世界


今日も相変わらず不思議な感覚が続いている。これはおそらく旅の余韻と呼べるものなのかもしれない。

旅が自己の存在の中を通り抜け、自己の存在が旅の中を通り抜けた後に漂う余韻である。自分の中に何かが通り抜けたという感覚と、自分が何かの中を通り抜けたという確かな感覚がある。

午後から降り始めた雨を見ていると、雨滴が時間に見えた。時は液体なのだという明晰な理解を得た。

自分の内側で時間が完全に溶解し、それはいかなる形態にも変容可能なものとして捉えられている。北欧旅行から戻ってきて、少しばかりおかしな感覚が続いているようだ。

時の最果ての存在に対する確かな確信が昼食前の自分に飛び込んできた時、それは時折、自分がそうした場所に足を踏み入れているからだということを知る。先ほどいつもより遅めの時間に仮眠を取っていたが、仮眠から目覚める直前に、サトルな意識状態で知覚される千変万化するイメージ群を眺めていた。

それはいつものように、絵画的であり、なおかつ文学的なイメージとなって現れる。つまり、純粋に多種多様なシンボルが現れることに合わせて、様々な文字が節や文章の形で現れるのだ。

今の自分の心の中の静謐さをどのように表現すればいいのだろうか。それは言葉の世界からこぼれ落ちてしまうようなものであり、絵画や音楽でしか表現できないものなのだろうか。

作曲という新たな表現手段を磨く過程においても、そしてそれを高度な次元で獲得した後になっても、言葉の世界から一見漏れてしまうような事柄さえも言葉で表現できるように尽力したい。

時の溶解と変容の先に時の最果てあり。今日は夕方から就寝にかけて、時の最果てに触れた感覚が続きそうな予感がしている。

欧米で生活を始めて六年目にして突如、自分の内側の中に英語が自己の深層部位にまで流入し始めたことについて、以前言及していたように思う。日本語という単色円から、日本語という英語の複色円を持つ存在に自分が変わった。

早朝、陰陽の写真をインターネット上で見つけた時、それは自分の言語世界を寸分違わず表現し尽くしていることに気づいた。日本語と英語の明瞭明確な境界線と両者が溶け出す深層線。

二つの自然言語を使う今の自分の内側の言語世界には、それら二つの異なる線が共存在している。陰陽の写真を見ていると、書斎の壁に掛けられているニッサン・インゲル先生の絵画作品が目に入った。

私がインゲル先生に創作を依頼した絵画のモチーフは、まさに地球全体を陰陽に見立てるものであったため、この絵画作品が自分の目に飛び込んできたのだ。創作を依頼したのは昨年の春頃だっただろうか。

私が日本に滞在していた時だ。あの頃の自分はまるで、自分の内側の言語世界が陰陽の世界に変容することを予期していたかのようである。

同時に、作品の主題として当時の自分が掲げていたことの本当の意味が、欧州での二年目の生活を始めようとする今になってようやく分かり始めている。あの時の主題の奥には無数の意味が潜んでおり、今新たな意味を一つ解き放ったのだ。

『平穏な悟り世界における死と再生』というタイトルを自ら付け、主題と構図を依頼したこの作品は、未だ深遠な謎を秘めている。2017/8/17(木)

No.87: My Occupation I turned over a new leaf in accordance with the beginning of a new day when I woke up.

This morning revitalizes me and kindles my eagerness to create something new.

Although my occupation accepted by the society is a researcher and consultant, I think that a “creator” or “producer” would be a more appropriate word to represent my occupation.

I can feel my fervent desire to create or produce something new. I will never renounce my vocation. Thursday, 8/24/2017

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