北欧旅行からフローニンゲンに戻ってきての初日が終わりに差し掛かっている。今日は午前中に洗濯などをし、少しばかり北欧旅行についての日記を執筆していた。
しかし、再びフローニンゲンでの生活を始めるにあたって諸々のことを行っていると、あっという間に一日が過ぎた感じがする。九月からのプログラムに関する授業料について質問があり、午後から学生支援課に足を運んで以降は、自宅に戻ってからも何かと事務的な手続きを行っていた。
そのようなことをしていると、書籍や論文を含めて自分の仕事をする時間的な余裕がないままに一日が終わろうとしているという感じだ。幸いにも、事務的な事柄の大部分を今日中にこなすことができたので、明日から再び本格的に自分の仕事に取り掛かれそうであり、一安心している。 今回の北欧旅行を通じて、ラルフ・ワルド・エマーソン、エドヴァルド・グリーグ、エドヴァルド・ムンクの三人の人物の仕事に深く触れることができたことは、何よりの幸運であった。それは今回の旅の大きな恵みであったとも言える。
明日以降もしばらくは、これら三人の仕事についてあれこれと考えることが多いだろう。彼らの仕事の業績を考えてみれば、そこから汲み取れることの豊かさは多大なものであることが一目瞭然であり、時間をかけて彼らの仕事と向き合うことが大事になるだろう。
彼らの仕事については書きたいことが山積みとなっており、どこから着手していいのかわからないほどである。そのような状況に現在は置かれているが、焦ることなく、着手できるところから彼らの仕事を通じて考えたことを文章に書き留めておきたいと思う。 フローニンゲンの幻想的な夕方の空を久しぶりに眺めている。薄い赤紫色の空が広がり、それを見ていると本当に心が安らかになる。やはりこの街は自分の故郷の一つになっている。
今日の日中に街の中心部を歩いていると、なんと心が穏やかな状態でこの街に存在できるかを有り難く思った。行きつけのチーズ屋の店主との会話が、この街に帰ってきたという感覚を強めた。
ムンクについて思いを巡らせてみた時、彼に影響を与えたノルウェーの自然誌家ハンス・イエーガーについて言及をしなければならないだろう。ムンクに多大な影響を与えたイエーガーの言葉の中でもとりわけ、「自らの人生こそを著せ」という言葉は深く響いた。
イエーガーのこの言葉を受けて、ムンクは絵画作品を通じて自分の人生を著しただけではなく、実際に日記を執筆することを通じて自身の人生を絶えず著し続けたのである。イエーガーの言葉とムンクの実践が、今の私の取り組みの方向性の正しさを裏付けてくれるかのようであり、とても大きな励ましを受けた。
ムンクは、日記の執筆と絵画の創作を通じて、自己を絶えず著述し続け、自らの経験と魂に真摯に向き合い続けたのだ。そうした自己の経験と魂との絶えざる対話と記録によって、表現するべき対象の発見と同時に、作品創出のインスピレーション(霊感)を得ていたのである。
そうなのだ。自己を著述することが目的なのではなく、自己著述を通じて、それを創作という表現活動につなげていくことが何より大切なのである。ムンクが絶えず作品を作り続け、絶えず日記を執筆し続けたのと同様のことを自分も行いたい。
エマーソンにとっての表現形式は、詩の創作とエッセイや日記の執筆であり、グリーグにとっては、音楽の作曲と日記の執筆であった。この世界に絶えず自己の表現物を創出し続けた偉人たちは皆、芸術言語と自然言語の双方で自己を著述し続けていたのだ。
これに気づいた時、私の魂は感動のあまりに打ち震えていた。明日からもまた、複数の表現形式をもって自己を著述し続け、この世界に自己の表現物を創出し続けたい。2017/8/16(水)
No.85: A Surprise and Learning As Charles Sanders Peirce points out, all inquiries stem from a surprise.
Whenever I ask myself, I feel that a revelation about myself drives my inquiry.
According to the same logic, learning should proceeds from a surprise. A surprise creates a necessary discontinuity for learning.
Learning could be to fill up such a gap and to generate a new discontinuity by a surprise. Wednesday, 8/23/2017