ベルゲンを出発し、コペンハーゲンに到着した。早朝のベルゲンは小雨が降り注いでいたが、コペンハーゲンは快晴である。
時刻は夕方の四時半を回り、もうそろそろしたらフローニンゲン行きの飛行機の搭乗が始まる。当然ながら列車の移動は旅の趣きがあり、移動中の景色を堪能できるという点において優れている。
しかし、旅から帰る際は、やはり飛行機の方が楽だと感じる。コペンハーゲンのラウンジで随分とくつろぐことができ、今日はゆっくりと自宅の浴槽に浸かれば、明日からまたこれまで通りに自分の仕事に打ち込むことができるだろう。
今回の北欧旅行を通じて、論文という自分の作品創出と日記を執筆するということをより本格的に行っていきたいという思いが強くなった。論文に関しては言うまでもなく、日記に関してもその表現形式が持つ可能性をより深く探求する必要があるだろう。
両者の片方を通じて自然言語による表現をしていくのではなく、両者には異なる人称言語と言語表現が求められるため、開示される知や感覚が必然的に異なったものになる。そのため、どちらか一方が欠けてしまっては、自分の探究が真に深まっていくことはないだろう。
それぐらいに両者の表現形式は重要だ。さらに、オスロのムンク美術館を訪れたあたりから、自分の思考と感覚を作曲を通じて自由自在に表現できるようにしたいという強い思いが改めて湧き上がってきた。
そして、その思いを決定的なものにしたのは、ベルゲンのグリーグ博物館だった。作曲をあたかも論文を執筆するかのように、日記を綴るように自由自在に行いたい。
日記の文章を綴るかのような作曲と論文の文章を綴るかのような作曲の双方が実現される日が来ることを望む。さらに望むことは、論文と日記と作曲だけに従事する生活を実現させたいと強く願う。
それ以外には何も望むことはなく、それ以外には何もする必要はないのである。究極的なまでに自分のために仕事をし、究極的なまでに人類のために仕事をしたいのだ。
全ての人間が個人的かつ社会的な生き物であるなら、なおさらそうした生き方を追求したい。それに合わせて、生活場所と仕事場所をそろそろ吟味しなければならない頃にあるように思う。
一旦どこかに落ち着いてもいい頃かもしれない。人と社会に向けて仕事をするのであれば、人と社会から離れた場所で生活と仕事を形作っていかなければならない。
仮に日本に向けて仕事をするのであれば、日本ではない場所で生活と仕事を進めていかなければならない。これは一つの覚悟に近い。 絶対に聞かなければならない声と絶対に耳を傾けてはならない声がある。絶対に聞かなければならない声は、自分の魂の声であり、その声と共鳴するごくごく一部の人たちの声である。
一方、絶対に耳を傾けてはならない声は、その他の無数の人たちの声である。自分の内側の声に耳を傾けてみる。すると、生活と仕事を営む場所のイメージが、意識の奥底から静かに浮上してきた。
それは欧米の学術都市であり、街の中心ではなく郊外のイメージだった。大学まで徒歩で行ける距離に一軒の家を購入している。そんなイメージが自分の深層意識から湧き上がってきた。
落ち着いた場所に拠点を定め、そこで生活と仕事を形作る日々が近いことを知る。コペンハーゲン空港上空の太陽が、そうした日々の実現に向けた道を作ってくれているかのように映る。
その道を通り、これからフローニンゲンに戻り、また新しい日々を始める。2017/8/15(火)
No.83: Various Approaches for Music Composition I am experimenting various approaches for music composition. For instance, I sometimes determine a melody line first, whereas I sometimes decide a chord progression first.
Also, my composition occasionally starts with a music theme.
Since diverse composition approaches are beneficial to preventing composition from being monotonous, I will continue to experiment diverse approaches. Wednesday, 8/23/2017