数日前から英文で日記を書く習慣が突然始まった。何かの目的や特別な意図があるわけでは決してなく、もはや日本語だけでは表現できぬものが自分の中にあるのを感じたためだろう。
以前は、自分の内側の思考や感覚を英語で表現仕切ることの困難さを覚えていた。だが今は、英語空間の中でしか生起しえない思考や感覚が自分の内側に芽生えていることを感じ取り、それが文字の形として表出したがっているようなうごめきを感じるのだ。
その表出衝動に逆らうことなく、それを自発的なものだとみなし、数日前から英文の日記を少しずつ執筆するようになった。これもまた日本語での日記と同様に、何か実用的な目的や意図があるわけではなく、強いて言えば、一日たりとも同じではない自分の内側の思考や感覚を絶えず記録するという、自分が本当に毎日生きているということの存在証明をすることだけが目的となるだろう。
日本語で日記を書くときのように、水が流れるかのように文章を書き留めていくのではなく、あえて建築的に一つ一つの文章を構築することを意識している。一文一文の間の論理をあえて飛躍させることは、不必要な粘着性を抑えることができるため、行間に文字にならないような思考や感覚を梱包しながら文章を建築するということを、一日の間でふとした時に行うような習慣が出来上がりつつある。これもまた超越的な自己が自らに課した一つの実験的な試みなのだと思う。
先日の買い物からの帰り道、英語のみならずオランダ語でも日記を書くのはどうかと考えたがこれはやめにした。というのも、オランダ語が独自の思考と感覚を生み出すには至っておらず、それはせいぜい日本語の思考と感覚の模倣に過ぎないか、英語の思考と感覚の模倣に過ぎないためである。
日記として書き残しておくべきなのは、内側の純粋な思考や感覚であり、他言語の翻訳的な偽物の思考や感覚であってはならない。一つの言語にはやはり固有の思考世界と感覚世界があり、六年目を迎えた欧州生活の始まりとともに、日本語のみならず英語において固有の思考世界と感覚世界が突然に切り開かれたことは注目に価する。
唯一の要因を特定することはできないだろうし、様々な要因が錯綜した形で関わり合っていることが容易に想像される。ただし、決定的に重要な要因は、英語で思考生活を送る合間に、絶えず日本語で文章を書き続けてきたことが挙げられるだろう。
今の自分の内面の成熟度合いにおいて、日本語で表現できる世界が一つの臨界地点を迎え、それが一気に英語空間の扉を開いたかのようなのだ。英語空間での文章執筆が始まると今度は逆に、それが日本語空間での思考と感覚を刺激しているようなのだ。
今、二つの言語空間が真に開き、相互作用し合うという関係を見て取ることができる。学術論文の形式だけではなく、日記の形式としてこれから毎日何かしらの英文を書き留めていくことになるだろう。
日々の生活は、日本語と英語の思考感覚世界の中で営まれているのだからそれは当然だ。英語で日記を書き留めないことは、日本語で日記を書き留めない時と同様に、自分がこの世界を生きているという実感を掴み損なうことにつながってしまう。
六年目の欧州生活の始まりは、自分にとってまた新しい意味をもたらすものとなった。これまでとは違う言語空間での思考と感覚を用いながら、明日からま読みに読み、書きに書くという生活を続けていきたい。2017/8/6(日)
No.46: Edvard Grieg’s Museum I recovered from the physical and mental languor, which inhibited my activity yesterday. Today is the third day to stay at Bergen in Norway.
I will visit Edvard Grieg’s museum——10 kilometers south of the city center——, where Greig and his wife lived for a long time. This museum has a chamber music hall seating 200 people.
I made a reservation for a lunchtime concert. The environment shapes our thoughts and feelings, and thus, I think that the Norwegian environment influenced Greig’s music very much.
Particularly, I can easily imagine that a fjord and deep forests inspired his music in a profound way. Not only Greig’s work but also any types of our work are the manifestation of the environment. Monday, 8/14/2017