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1398. 哀愁と希望


哀愁を漂わせながらも、それでいて清々しい夕暮れの空を久しぶりに見た。時刻が夜の九時に近づき、いよいよ太陽が沈む時間となった。

太陽が今日という一日の最後の光を振り絞り、それが空に伝わっているかのような美しさが、今目の前に広がっている。沈みゆく太陽とその光を受けた夕暮れの空は、確かに一つの寂しさを結晶化させている。

だが、それは決して否定的な寂しさではなく、その寂しさの核には明日への希望が宿っている。自宅からほど近くの空に、透明がかったいくつかの雲の塊がゆったりと西から東へ移動していくのが見える。

もう本当にその雲は手に掴めそうなほどの距離にある。それは、掴めそうで決して掴めないものを象徴しているかのようだ。 今日という一日を振り返りながら、今日の自分は何を見て何を考えたのかを回想していた。しかしよくよく冷静になって考えてみると、それは回想ではなく、自分に新たな気づきと発見をもたらす確かな前進だった。

今日を振り返るというのは、後ろに向かって振り返るのではない。それは間違いなく、前に向かう行動である。

その証拠に、今日を振り返る今の自分に、また新たらしい思考や感覚がもたらされているのだ。明日はどんな日になるだろうか。

欧州で過ごす日々は永遠ではない。それは欧州という場所に限らず、この世界で過ごす日々は永遠ではないのだ。それは自分だけでなく、誰にとっても同じだろう。

とりわけ欧州での日々は、自分にとって格別の意味を持つ。これまで育んできたものを解体することを余儀なくされ、もう一度自分の手で新しい構築物を建設していくことに従事せざるをえないのだ。

ひとたび新しい建築物が生み出されると、それが以前のものとどこが違うのか一見すると分からない。だが、その違いは自分だけが知っている。

この創って壊すという作業が毎日毎日行われていることに、自分だけが気づいているのだ。自らの存在をかけてこの世界に何かを創り出すというのは、そのようなプロセスを経なければ決して成し遂げられるものではない。そのようなことをつくづく感じる。

そうこうしているうちに、太陽が間もなく西の空に消えていく時刻となった。明日の自分は何を壊し、何を創り出すのだろうか。

壊すという行為には独特の寂しさがあり、何かを創り出すという行為にも独特の寂しさがある。だが、壊すという行為と創り出すという行為が織りなす連帯感は、明日への希望を私にもたらす。

一日を終えることの静けさを超えて、明日に賭けてみたいという思いがまたふつふつと湧いてくる。2017/8/5(土)

No.43: Severe Winter and Desperate Loneliness Finally, I arrived at Bergen, which is a southwestern city in Norway.

I have expected to visit it very much since I decided to travel to Norway. Soon after I began to walk from the central station to my hotel, I had no choice but to remember the severe winter in Groningen last year.

Then, I was seized with a desperate feeling of loneliness out of the blue. The feeling did not matter whether somebody was beside me.

It was an existential loneliness. When I visited Munch Museum in Oslo, I noticed that Munch also had a sense of isolation.

Can a desolate feeling of loneliness transform into the tomorrow’s blue sky? I hope so very much. Saturday, 8/12/2017

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