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1396. 公案的笑い


夕方の仕事に取り掛かる前に、少しばかり休憩をとった。行きつけのチーズ屋で購入したナッツ類を食べながらコーヒーをゆっくりと飲む。

食卓の窓からぼんやりと外の景色を眺めてみる。午前中の雨雲が消え去り、今は晴れ間が広がっており、まばゆい太陽光が辺りに降り注いでいる。

天候の変化が激しい環境の中で生活をしていると、大きな変動性に左右されないための弾力性のようなものが自分の内側で養われているのがわかる。いやそれよりもむしろ、大きな変動性の波にピタリと自己を寄せることができるようになりつつある、と言った方が正確かもしれない。

というのも、変動性というものを対象化してしまい、その波にうまく乗るための弾力性を措定してしまうと、自己と変動性の波が乖離してしまうのだ。結局、こうした乖離が自己を苦しめることになる。

であれば発想を少し変え、変動性という波に乗ろうとする自己を想定するよりも、その波と自己を合一化させる形で捉えるのだ。そうすると、変動性の波にもはや乗る必要などなくなる。

なぜなら、自己がその波に他ならないからだ。このように考えてみると、随分と自分の心が平穏なものになることがわかる。

そこには対象をコントロールしようとする意図がなく、対象を手放すことによって真にその対象になる、という現象が起きる。一つの現象を手放すことを経た後にやってくる真の合一は、この世界で生きようとする自己が消滅し、そこにはただ生きるということだけがある。

ただ生きるということを通じてこの世界を実際に生きてみると、何とも言えない安らぎと晴れ晴れとした感じがする。 書斎の内側に流れるバッハのゴルトベルク変奏曲と書斎の外側を流れるさざ波のような優しい風。そういえば先ほど、一つハッとさせられたことがある。

何気なく自分の利き手でコーヒーカップを掴んだ時、利き手を用いればいかなる物も掴むことが可能なのだが、たった一つ掴めぬものがあることに気づいた。

それは自分の利き手だった。いくら一生懸命になっても、自分の右手で自分の右手を掴めないのだ。

その瞬間、「公案的笑い」が自分の芯から込み上げてきた。「悟りに到達した」と主張する人や「悟りを開いた」と主張する人をつくづく信じることはできないと思った。

悟りなど到達するものではないし、到達されるようなものではない。悟りなど開くものではないし、開かれるものではない。悟りは、常に到達されており、常に開かれているものである。

ただ、私たちがその単純な真実に気づかないのだ。自分の右手で自分の右手を必死になって掴もうとする人がいかに多いことか。

私たちはいつまでそのような幻影を追いかけようとするのだろうか。偉大な覚者たちの言葉の意味が、ようやく自分にもわかりつつある。2017/8/5(土) No.41: Σ∞ I visited Oslo National Museum which possesses a number of great art works such as Munch’s “Scream” and Renoir’s “After the Bath.”

Needless to say, those paintings inspired me, but the most memorable experience to me was drawing in one room.

There were two statutes were standing in the center of the room; the left statute represented a boy and the other did a mother. I rarely sketch, but the atmosphere of this room encouraged me to do so.

I sat on a chair near the statutes and started to draw by pencil. Once I concentrated on the two statutes, my eyes captured their abstract qualities.

20 minutes later, my artwork was finished. I ended up drawing the boy’s statue as the symbol of Σ and the mother’s one as the symbol of ∞.

A hundred of drawings were on the walls in this room. All of the works except mine were drawing two concrete objects——two human bodies.

However, my work depicted abstract dimensions of the objects. Probably, I activated my soul’s eyes, whereas others utilized their physical eyes.

Both styles follow the rule of drawing because they express exactly as objects are. Saturday, 8/12/2017

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