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1353.「私たちは常に今というこの瞬間の時間と空間を生きているんだよ」


今日は午後から歯医者に行ってきた。半年前に親知らずを抜いた時に、定期的に歯の検診に行こうと決意し、あれから早いもので六ヶ月が経った。

午後二時前に自宅を出発すると、さわやかな風に全身を包まれた。八月に入るというのに全く暑さを感じさせない気温である。とはいえ、さすがに長袖を着ることをせず、今日は半袖で出かけた。

自転車に乗る人たちの中には長袖を着ている人も見かけたが、運動がてら歩くことにしている私にとっては半袖がちょうどいい。歯医者に向かうまでの道中、私は幸福な感覚に満たされていた。

少しばかり雲がかかった青空、道端に咲く花々、吹き抜ける風の存在を確認するたびに、それらは私の幸福感をさらに強めていく。歯医者に行く途中にある郵便局に立ち寄り、再来週に迫った北欧旅行に向けて、万一のために100ユーロ(13,000円)だけお金を下ろした。

財布の中に入っている現金が常時4ユーロ(520円)ぐらいしかなかったので、北欧を旅するにはさすがにそれではまずかろうと思ったため、念のため100ユーロを下すことにしたのだ。調べてみると、デンマークにせよノルウェーにせよ、クレジットカードでの支払いが普及しているそうなので、100ユーロの現金すら必要なかったのかもしれないが万一のためである。

昨年の年末、日本に一時帰国した際に、財布に現金が200円しかなく、東京から実家への新幹線に乗車する前に昼の弁当を購入しようとしたが、お金が足りず、昼食は150円の大きめの缶コーヒーだけとなった記憶が蘇り、思わず笑みがこぼれた。昼の弁当が買えなかったあの時も幸せであったし、その当時の記憶を思い出す今の私も幸せだ。

フローニンゲンの爽やかな夏に全てが溶け込んでしまいそうな感覚が続く。この世界には地獄や修羅が存在しているのは紛れもない事実だが、私たち人間はやはり、幸福を追求し、幸福の中に生きることが善なのだ。

幸福感のない人生は善き生き方ではない。この世には善も悪も存在し、幸福も不幸も存在するのは確かだ。だが、それでも私たちは善と幸福で満たされた人生を歩んでいこうとしなければならない。

人間の発達もそうだ。それは善にも悪にも転びうるし、幸福にも不幸にも転びうるのだ。しかし、それを善と幸福の側に向かって成し遂げることも十分に可能なのだ。そして、私たちはそうしなければならない。

街の中心部に位置する教会が見えてきた。教会が見える運河を渡ろうとすると、太陽光が運河に反射し、水面がきらめいていた。「こんなところにも世界の輝きを見て取ることができるのだ」という言葉が思わず漏れた。 歯医者の入り口に到着すると、歯医者から出てくる人が親切にもドアを開けてくれ、私はお礼を述べた。受付の女性が笑顔で挨拶をし、私も笑顔で挨拶をした。

名の知れぬ人々とのやり取りがこれほどまでに幸福感をもたらし得るものだということに、私は改めて感激していた。予約した時刻よりも早く着いた私は、待合室で哲学者ポール・シリアーズが執筆した “Complexity & Postmodernism: Understanding Complex Systems (1998)”を食い入るように読み進めていた。

「この本は面白い。得るものが多くある」という言葉が絶えず頭の中を駆け巡っていた。複雑性科学を文字通り科学的な観点で捉え、科学的なアプローチを通してその知見を活用するのではなく、哲学的な観点から捉え、哲学的なアプローチを通してその知見を活用していくことが大事である。

そうした私の思いを代弁し、より深くより豊かな視点で複雑性科学を哲学的に解きほぐしている本書はとても参考になる。書籍の世界に入り込んでしばらくすると、担当の歯科医が出迎えに来てくれた。

もはや何の違和感も感じなくなっていたのだが、そういえば、いつもこの歯医者では歯科医が握手とともにクライアントを迎える。治療が終わった後も握手だ。

ふと、かかりつけの美容師であるロダニムも握手で始まり、握手で終わることをふと思い出した。ロダニムのところに行くのは来週だ。こうした些細な行動の中に、その国の文化を見る。

米国での生活の一年目、なかなかハグの文化に慣れることができなかったことが懐かしい。検診を終えると、担当の歯科医から、歯茎を鍛えるために毎日特殊なスティックを使うことを勧められた。

実は六ヶ月前にも、別の歯科医からそれを勧められていたのだが、歯茎の一つ一つの隙間にスティックを通していく作業が億劫になり、早々に断念してしまっていたのだ。歯科医の言いつけを守っていなかったことが専門家から見れば一目瞭然だったのだろう。今日からは毎晩スティックを使って歯茎の鍛錬をしたいと思う。 歯科医を後にした私は、行きつけのチーズ屋に立ち寄ることにした。チーズ屋の近くに差し掛かると、以前から気になっていたアパレルショップがより強い存在感を発しているように思えた。

とても品のあるアパレルを備えており、毎回この店を通る前に中を一瞥すると、その雰囲気と取り揃えられているアパレルが、自分好みのものであることを感じていた。正直なところ、フローニンゲンという街は北欧にほど近いため、それほど気温差はないだろうと思ったが、カーディガンが今は手元にないことを思い出し、北欧旅行のためにそれを購入したいと思った。

店内に入った瞬間、とても居心地の良い雰囲気が漂っており、初めてこの店に入ったにもかかわらず、常連客のような気持ちになった。すぐさま、オランダ人の中年女性が対応をしてくれ、自分の感性に合致するようなカーディガンを見つけることができた。

カーディガンを二着購入することにし、この際にそれに合わせてシャツも二着購入しようと思った。お目当ての品を揃えたところで会計に向かおうとすると、自分に言葉を投げかける靴を見つけた。

そういえば、ビジネス用ではなくプライベート用の靴を最後に購入したのは、ロサンゼルスに住んでいた頃であったから、かれこれ三年前のことだと思い出した。結局、靴も二足購入することにし、久しぶりに社会生活用の物品を購入したことに満足感を覚えた。

本日購入した六点の品々は、どれも大事に使おうと思う。物には魂はないのだが、物に魂を込めることは可能なのだから。 対応をしてくれた女性との雑談の中で、北欧旅行について言及することがあった。その女性も北欧はとてもお勧めだと述べていた。私はお礼を述べ、店を後にした。

その店を出て歩いてすぐのところに、行きつけのチーズ屋がある。チーズ屋に入ると、店主の女性と一人の初老の男性が楽しげに会話をしていた。

私は店主に挨拶をし、アーモンドを含め、いくつかのナッツが混ぜ合わさったものを300g、マカデミアナッツを200gほど軽量スプーンですくい上げた。店内のマットを踏む最初の一歩の右足の動作、店主に挨拶をする言葉、ナッツ類に向かうまでの歩数、ナッツ類を袋に詰める動作など、それらの全てが一つの物理方程式で記述できてしまうのではないか、という考えが思い浮かび、危うくクスクス笑い出しそうになった。

また、自宅からここまでの歩行経路のパターンも限定的であり、自分の生活圏内の範囲もひどく限定的であることを踏まえると、ネットワーク理論を活用すれば、これもまた一つの方程式で記述できてしまうと思った。

相変わらず店主とその男性は会話を続けていた。お気に入りの一年発酵もののオーガニックチーズに手を伸ばし、振り返ると、その男性が満面の笑顔で私にオランダ語で話しかけてきた。

初老の男性:「XXX, XXX, XXXXX?」 :「Kunt u Engles spreken?」 初老の男性:「あぁ、こんにちは。この街で勉強しているのかね?どうだね、この街は?」 :「こんにちは。ええ、この街は素晴らしくてとても気に入っています」 初老の男性:「そうかね。それを聞けて嬉しいよ」 とてもありふれた会話の出だしの中で、私はたまらない幸福さを感じていた。とても人の良さそうなその初老の男性は、上機嫌な状態を維持したまま、私にあれこれと質問をしてきた。

その後、私たちはしばらく会話のキャッチボールをしていた。長崎の出島の話、日本のサブカルチャーの話、そして私がノルウェーに来週から行くことを伝えると、ノルウェーの天然資源が豊かなこと、ノルウェーの社会保障や教育について話が及んだ。

雑談が落ち着いたところで、その男性がとっさに話題を変えた。 初老の男性:「君の専門は知性の発達だったね。私は歴史と地理を専門としていたんだ。この二つの特徴は何かわかるかね?」 :「歴史と地理の特徴ですか?」 初老の男性:「そう。歴史は時間を、地理は空間を探究するものであり、我々は現在という歴史と地理の産物であることに気づいたことはあるかね?私たちは常に今というこの瞬間の時間と空間を生きているんだよ」 その言葉を聞いた時、ハッとさせられるものがあった。今というこの瞬間の時間と空間の連続の中で私は生きているのだということに対して、とても神妙な気持ちになったのだ。

初老の男性は私に手を差しのばし、私たちは固い握手を交わした。その男性は最後に私に向かって、「この夏を楽しみ、この街でのこれからの探究も充実したものになることを願っているよ」という言葉を投げかけてくれた。

私はその男性とチーズ屋の店主に笑顔で挨拶をし、チーズ屋を後にした。フローニンゲンの街を通り抜ける風が頬を伝った。

この街を照らす太陽が妙に光り輝くものに思えた。私は絶えず幸福さと光の中で、今というこの時間と空間を感受し続けたいと思った。2017/7/26(水)

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