1343. 夢とMOOCと人工知能


グレン・グールドが演奏するモーツァルト——グールドが毛嫌いしていた——のピアノソナタ全集が終わりを告げ、バッハ——グールドが敬愛していた——の楽曲全集が始まりを告げた。ここ数日間、グールドが演奏するバッハを何時間聴いただろうか。

書斎にいる間はずっと聴いていたから膨大な時間に及ぶだろう。それでもまた聴きたくなるあの不思議な魅力。

昨年の夏、ライプチヒを訪れた際に足を運んだバッハ博物館の記憶がにわかに蘇る。同時に、バッハ博物館を訪れる前に足を運んだ、シューマン博物館とメンデルスゾーン博物館で体験したあの振動を伴う美的感動を思い出した。

あの夏の記憶の断片が、一つのまとまった記憶として再想起される時、また一歩自分の内側で何かが深まった感触がある。 夕方の休憩中、今朝見た夢についてもう一度振り返っていた。そして、夢を振り返ることそのものについて考えを巡らせていた。

私は、夢の記憶が残っている時にはできる限りその夢を書き留めておくようにしている。様々な目的があるが、それは一つに、夢の中の記号的意味を自分なりに明瞭なものにすることが挙げられる。

夢の世界は、自然言語では捉えきれないほどの記号言語で満たされている。そうした記号言語の意味を一つ一つ可能な範囲で自分なりに解きほぐしていくことが、内面のシャドーの理解を促すのみならず、内面世界そのものの成熟を促すことにつながると思うのだ。

日々の夢を書き留めることは、シャドーワークの実践につながるのみならず、シャドーを通じた自己理解と自己成熟を促していく。興味深いのは、内面の成熟に合わせて夢の性質が変化しているのかしていないのか分からないことだ。

そもそも人間の無意識は成熟するのかどうかについても気になっている。ユングや井筒俊彦先生の無意識についての説明を見てみると、確かに無意識にはいくつもの階層が存在していることがわかるが、顕在意識の発達のように、ある階層の中に留まり、そこからさらに深い階層に向けて進化していくという動きを無意識の運動の中に見てることは難しい。

無意識の階層は、ある種の状態変化の質的差異を示しているのかもしれない。夢の世界が立ち現れる無意識については、今後も自らの体験を通じて探究を続けていこうと思う。 夏季休暇も一ヶ月が過ぎ、ちょうど折り返し地点に差し掛かる頃であり、そろそろ二年目の研究に向けた準備を進めていこうと思う。そう思った時、二年目の研究で主に取り上げるMOOCと人工知能の今後の関係について考えていた。

今後ますます人工知能を活用した学習が進展し、それはとりわけMOOCにおいて顕著に見られるだろう。そのような予感を強く持っており、夏季休暇の後半は人工知能に関する専門書を読み進める予定だ。

それに並行する形で、二年目の研究データを集取し、それを加工する作業を進めていきたい。具体的には、フローニンゲン大学が過去に提供したMOOCの一つである「複雑性・不確実性と意思決定」というコースを題材に、七月中にデータを集め、八月中にデータを加工しておきたい。

先日少しばかりデータ収集を行ったところ、いくつか研究仮説が思いつき、それをメモしていた。さらにデータ収集を進める中でまた新しい仮説が生まれてくるだろう。

研究者として嬉しいことだが、今回の研究データは質と量ともに充実しており、様々な角度から研究を進めていくことができるため、まずは何に焦点を当てるかを明確にする必要があるが、重層的な研究を継続的に行えそうであることに期待感を持つ。2017/7/24(月)

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