1320. ここでしか育まれえぬ思考と感覚


早朝、この夏の北欧旅行の旅程について書き留めた。文章を書き終える頃には、辺りもすっかり活動的な午前中の様相を呈し始めた。

先ほどは、北欧旅行の外形についてしか触れないようにしていたのだが、それでも自然と今回の旅の各地でもたらされるであろう思考や感覚などが自発的に湧き上がってくるかのようだった。それらは外側に姿をあらわすことを我慢できないようなエネルギーを持っており、非常に密度の濃い感覚質でもあった。

仮にこの夏、エジプトとギリシャに行っていたら、旅で得られる新たな感覚質に押しつぶされ、内側の感覚がはち切れていただろう。今回の北欧旅行は、それぐらいの充実さを今から予感させてくれる。

まるで一つの物語に魅せられているかのようである。物語の細部は未だ謎に包まれているのだが、物語の全体構造が一つの感動を呼ぶのである。そのような感動の中に浸っているのが、先ほどの自分であった。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が高らかに書斎に鳴り響いている。書斎の窓の外に広がる世界を流れている風と呼応するかのごとく、ヴァイオリン協奏曲が颯爽と奏でられている。

初夏の爽やかな風とヴァイオリンの足が一体となって進行する感覚は、実に清々しい感情をもたらす。100時間弱に及ぶベートーヴェン全集もようやく三分の一に到達したようだ。

先ほど、今回の北欧旅行で訪れるノルウェー西部の町ベルゲンにゆかりのある三人の作曲家について少し調べていた。エドヴァルド・グリーグ、ハラール・セーヴェルー、オーレ・ブルの三名の生涯について調べ、彼らの楽曲を早速ダウンロードした。

彼らの曲を真剣に聞けば、それがノルウェーの風土から育まれたものであり、とりわけベルゲンという土地の恵みに大きな影響を受けていることがわかるのではないか、という考えが浮かんだ。一人の表現者は、自らが生まれた場所や生活をした場所の風土に育まれる形で創造物を生み出していく。

この点についてはまさに、数日前の日記に書き留めていたことだ。そこでしか育まれないもの。そのようなものがきっとあるに違いない。

欧州での生活を始めて以降、この考えは強まる一方であり、それは思考を超えて、強い内側の感覚として捉えられるものになっている。ノルウェーに滞在中、私はこれら三人の作曲家が残した作品を繰り返し聴くことになるだろう。 ノルウェーの森やフィヨルドに取り囲まれた自然環境の中で、それら三人の作曲家が残した作品を聴いている自分を自然と想像していた。その想像を通じて私は、自分が欧米に留まり続けようとする理由について再度考えていた。

自らの関心領域を考えると、確かに欧米でしか探究できないものがあるということが大きいが、それ以上に、ここでしか発揮され得ない思考と感覚を持って探究に打ち込むことが重要な理由なのだと理解した。今私が生活をしている風土で育まれたものを通じて、これまでの自分の思考と感覚を新たな形として育んでいくことが何より重要だ。

私にとって、既存の思考と感覚を掴み直し、それらを新たな形に変容させながら熟成させていくためには、これまでとは異なる風土に身を置くことが大切だった。

ここでしか考えられないものやここでしか感じられないものと向き合いながら、欧州での私の日々はこれからも積み重ねられていく。2017/7/19(水)

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