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1317. 冬の終わり


観想的な生活。黙想に終わり、黙想で始まる日々。欧州での私の日々と生活はそれらの言葉に要約される。

そして、それらの言葉に要約されえぬものがあるのもまた確かだ。昨夜、仕事に取り組んでいる時に、「ある」と「ない」という言葉を巡る存在規定の問題に直面していた。

ある対象を説明する時に、どのようにすればそれが完全にあると言えるのか、逆に完全にないと言えるのか、そのようなことを考えていた。これは単なる言葉遊びではなく、自分にとってはとても重要な問題であった。

「ある」ということを際限なく積み上げていったとしても、それが完全にあるとは言えない場合があるということ。一方、「ない」ということを際限なく積み上げていったとしても、それが完全にないとは言えない場合があることに突き当たっていた。

また、「AはBではない」という否定を積み上げていけば、Aの存在が肯定的に浮かび上がるのだろうか。これも際限なく続くように思われた。そのようなことをぼんやりと考えていたのが、昨夜の出来事だ。

今朝、起床してみると、冬の終わりから症状が出始めた手荒れがようやく回復に向かっていることがわかった。食器を洗う洗剤を水で薄め、荒れた右手を極力使わないようにしたり、ハンドクリームなどを絶えず塗っていたが、それほどの効果をもたらさない日が長く続いた。

夏も中盤に差し掛かった今頃になって、ようやく冬の手荒れが治るという事態がとてもおかしく思え、自然と笑みがこぼれる。手荒れが完治に向かう今日を持ってして、冬の終わりとした方がいいのかもしれない。そのようなことをふと思った。 今日は午前中から論文を読み込んでいく。読むべき論文の数など決めない。読みたいと思う論文群を、読みたくないと思う瞬間まで読み進めていく。

午後からは、オンラインゼミナールの第四回目のクラスの講義資料の大枠を作成したい。資料作りという創作行為は、私にとってある意味危険な側面を持っており、一度取り掛かると没入状態を引き起こしかねない。

仮に午後から取り掛かるとしても、夕食までの時間という区切りをつけたいと思う。今日はとにかく論文を読みたい。

読みに読み、書きに書くという活動が終われば、黙想的な形で再び今日という日を終えることになるだろう。そしてまた、黙想的な形で明日が始まるのだ。2017/7/18(火)

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