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1296. 客員研究員としての道


先ほど浴槽に浸かっていると、フローニンゲン大学での二年目のプログラムを終えたら、すぐに博士課程に進むのではなく、在野で一年間ほど研究をするのでもなく、客員研究員として米国の大学に所属するという選択肢が浮上した。

それはこれまで考えたことのないものだった。そもそも客員研究員という言葉を知ったのは、先ほどふとしたきっかけで調べものをしている時に判明したのだが、大学で講義を担当することなく、通常一年間ほどの期間を研究だけに従事できるポジションのようである。

現在進めている日本企業との協働プロジェクトを引き続き行いながら自分の研究を進めていくのであれば、客員研究員という選択肢も一考に値すると思った。成人発達に関する研究はもちろんのこと、より個別具体的なテーマとしては、MOOCの研究を進めたいという思いがある。

米国のいくつかの大学はMOOCの研究に力を入れていることを知っており、その中でも一つ以前から気になっていた大学があるため、そこで客員研究員としてのポジションを得ることができれば望ましい。幸運にも浮上した選択肢に感謝しながら、そうした道もあるということをノートに書き留めておいた。

その道を重要な選択肢として残しておくためにも、九月から始まる二年目のプログラムで自らの探究をさらに推し進めていく必要があるだろう。 夕食後、すっかり天気が回復し、空に晴れ間が広がり始めた。時刻は八時を過ぎたところだが、太陽はまだ沈む気配がない。そうした太陽の動きと歩調を合わせるかのように、私も今日の探究を止める気配がない。

もう少しばかり読みたい書籍に目を通しておきたいと思う。とりとめもない思考が相変わらず続き、現在自分が携わっている研究をこれまでとは違う表現で捉えた自分がいた。

現在の私は、知性を生態系とみなし、生態系の振る舞いを研究し、生態系それ自身とその振る舞い自身が高次元のものに変容するプロセスとメカニズムを研究しているのだと知る。そして私は、知性という生態系をネットワーク科学とシステム科学の観点から探究しているのだと知る。

なぜこのような認識が生まれたのかは定かではない。自らの探究内容をこれまでとは違った形で捉えようとするような言葉が自発的に生まれたのだ。

細かなことを言えば、その他にも付け加えたいことはあるが、上記の表現は自分の研究の大きな輪郭を適切に捉えた言葉だと言える。就寝に向けて最後の仕事に取り掛かる前に、このような言葉が突如生み出されたのは不思議なことであった。2017/7/12

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