昼食後、夏季休暇の後半に読む予定の文献リストをもう一度確認した。200冊ほどの購入リストの中で、特に最近加えた70冊のタイトルを再度眺め、そこから15冊に絞って先ほど購入した。
そのうちの12冊は英国のアマゾンに注文をし、残りの3冊は米国のアマゾンに注文をした。価格の観点から、ここ最近はドイツのアマゾンを活用することがなくなり、英米のアマゾンの充実ぶりには目を見張るものがある。
だが実際には、英国のアマゾンよりも米国のアマゾンの方が価格的に良心的だ。英国のアマゾンと比較すると、米国のアマゾンで古書として売り出されている数は桁違いに多く、必然的に価格も安い。
ここ最近の日記でも触れているが、来年か二年後には再び米国に戻ろうと思っているため、すでにその時に購入する予定の書籍リストにはその旨の印が付けられている。これは最大の理由ではないが、専門書の入手しやすさという点は、私が米国に再び戻ろうとする理由の一つであることは確かだ。 午前と午後の大部分の時間を使って、ケン・ウィルバーのSESの第二部を読み進めていた。発達研究に携わるものとして、第一部に記述のある段階モデルの話が面白いのは間違いないが、第二部はウィルバーが現代に投げかける強い問題意識が色濃く現れていて、非常に読みがいがある。
本書を執筆している時のウィルバーは、間違いなく自己と真摯に対峙し、現代社会と深く対峙していたのだと痛感させられる。第二部を読みながら、現代人はフォボスかタナトスのどちらかに囚われ、現代社会は両者の闘争状態にあることを実感させられる。
フォボスとは、自らが過去に通ってきた、あるいは自らを支える低次の発達段階を破壊しようとする衝動であり、同時に未成熟な上昇思考を伴うものである。上へ上への成長を希求し、含んで超えていくはずの低次の段階を抑圧するような衝動を持つのがフォボスに囚われた人間の特徴である。
成長至上主義が根強い現代社会において、フォボスに囚われた人間はとても多いように思える。その末路は、望むような段階に到達することからはほど遠く、低次の段階を破壊することに伴う自己崩壊が待っているだろう。
一方タナトスは、高次元のものを排斥しようとする衝動を持ち、低次の段階に停滞してしまうか退行してしまう特徴を持つ。ここでは、高次元のものを避け、それを殺す形で低次元のものを救おうとするような衝動を持つ。
現代人の多くが既存の発達段階に留まり続けるというのは、フォボスかタナトスのどちらかの作用が強く働いていることに起因しているかもしれない。そして、広く現代社会を見渡してみると、低次の段階を認めないフォボスに囚われた思想と、高次の段階を認めないタナトスに囚われた思想が、お互いの陣営を譲らず、闘争状態にあるように思えてしかない。
こうした状況では、個人も社会も発達の歩みを止めてしまうのは無理もない。ウィルバーがSESを通じて投げかけた重要な問題意識のうちの一つは、まさにこの点にあるだろう。
第二部を読んでいると、ウィルバーの嘆きの声が自分の内側に重厚に響いてくるかのようだ・・・。2017/7/10