1285. 実存性と霊性の充満する書籍を求めて


昨日の天気とは打って変わり、今日は曇り空が広がっている。今日は月曜日であるというのに、通りを行き交う人が少ない。

もしかすると、この街に住む人たちの多くも夏期休暇に入り、どこか別の国に旅行しているのかもしれない、という大雑把な仮説を持った。だが、それぐらいに辺りは静かであり、人が少ない。

今日は早朝から、ウィルバーの労作SESの第二部を読み進めていた。本書は、ウィルバーが自らの実存的な問題意識を強く投げかけた作品であることに改めて感銘を受けた。

まさに、本書にはウィルバーの霊性が結晶化されており、人は自らの霊性を投影させる形で文章を執筆するとき、そこには途轍もない密度の思想体系が表出するのだと思った。同時に、ウィルバーはそれ以降、SES以上の作品を残せていないことにも考えを巡らせていた。

自らの霊性が一つの固有なものであるがゆえに、その人の霊性をひとたび完全に具現化させるような書物を書き残してしまうと、もはや二度とそのようなものが書けなくなるのかもしれない。ここでは、霊性というものを一つの存在と位置づけ、一人の人間には一つの固有の霊性しか備わっていないという前提を置いている。

また、ひとたび固有の霊性を具現化させることを果たしたら、二度と同様のことが行えないという前提も置いている。そうした前提を置かざるをえないほどに、自らの霊性をかけて多数の書籍を執筆するというのは難しいことなのだ。

実際に、自らの霊性が真に具現化された書籍を複数執筆すことのできた人物はほとんどいないだろう。そのように考えると、一人の人間には一つの霊性があり、一つの霊性には一つの役割があり、書籍の執筆を通じてその役割を果たすと、その霊性はこの世界に新たな問題意識を書物を通じて投げかけることをやめてしまうのかもしれないと思った。

霊性の役割を果たす手段は複数あったとしても、一つの表現手段でその霊性が持っている全てを具現化させると、その手段を通じては二度と同じようなことができないのではないかと思った。 そのような思いでSESを読んでいると、やはり私はこうした書物こそを読み進めていかなければならない、と気持ちを新たにした。一人の人間の霊性が充満する書籍というのは、この世の中には数多く存在する。

しかし、世の中に出回っている書物の数からして見れば、それは圧倒的に少数である。著者の実存性が滲み出てくることもなく、霊性に根ざした問題意識をこの世界に投げかけることをしない書物を読む暇はない。

著者の実存性と霊性が充満する書物を選りすぐり、そうした書物に日々触れていくことを心がけなければならない。実存性や霊性が死にかけている現代社会においては、なお一層このような態度を持って書物と向き合わなければならないと思う。2017/7/10

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