1281. 思考と感覚を喪失した現代人


窓越しに眼下を眺めると、一階の住人が所有する庭に、鮮やかな赤紫のあじさいのような花が無数に咲いていることに気づいた。これまで私はそれらの花の存在に気づくことがなかった。

いや、私の記憶では、それはもう少し小さく、かつ白色をした花ではなかっただろうか。眼下に見えるその花が咲く季節はまさに今であり、秋でも冬でもないことがはっきりとわかった。

その花は、秋や冬には咲きようがなく、この夏という一つの季節の中でしかこの世界に現れないということが明確に理解できた。それは花の外見上の色や形から理解できたと言えるが、それ以上に重要なのは、その花を見たときに私の内側に喚起される感覚がそれを伝えていたことだった。

感覚として、その花はこの季節の中で育まれるものであり、この時期に世界に発現する必要があるということが手に取るように理解できたのだ。こうした感覚はもしかすると、人の成長を捉える際にも重要なのではないかと思った。

私たちが固有の花を咲かせる最適な季節や時期というのは必ず存在しており、それを見誤ってはならない。確かに、その最適なタイミングを説明する科学的な理論はいくつも存在するのだが、それは真っ当な感性を持っていれば、最適な時期というのは明確なものとして知覚されるはずだ。

おかしいものはおかしく、正しいものは正しいという、絶対的な基準を知覚するような感覚が本来私たちには備わっているはずである。しかし残念ながら、現代を生きる私たちは、この感覚の大部分を喪失してしまったようだ。

一つの花を愛でることのできない人間は、人の成長など一切理解できない。そのようなことをこの赤紫の花は訴えかけているように思えた。

この花が今この瞬間にしか咲きえないという歴然とした事実を突きつけられ、現代人が患っている感覚喪失という病について考えを巡らせることになった。自然から学ばされることは非常に多い。

私たちを取り巻く自然を眺めたとき、ある動植物がその時期のこの瞬間に存在しているという「理由の理由」を考えなければならない。考えるというよりもそれは、直視であり直感であり、概念の構築物としての理由が生まれる前の純粋な動因をそのままにして把握しなければならない。

思考に頼ろうとする現代人は感覚を喪失し、感覚を頼ろうとする現代人は思考を喪失している。いや、ほとんどの現代人は思考も感覚も喪失しているような気がしてならない。

いつになったら私たちは、思考や感覚を取り戻そうとするのだろうか。思考や感覚を取り戻し、それを自ら育んでいくことをしない限り、思考と感覚を超えた純粋な現実把握などできはしないだろう。2017/7/9

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