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先ほど、わずか数分間だが、通り雨がやってきた。あたかもそれが幻想であったかのように、今は晴れ間が空に広がっており、遠くの方で小鳥が鳴く声がする。

穏やかな太陽光が降り注ぐ夕方の中で、私は少しばかりサンフランシスコ時代のことを回想していた。個別具体的な出来事を思い出していたというよりも、それらの全体を包む印象のようなものを思い出していた。

すると、とても些細なことながら、フローニンゲンの夏の気候はサンフランシスコの夏の気候に近いことに今さらながら気づいた。気温だけを取ってみると、まさに両者の夏の様子は似ている。

実際に、お互いの現在の気温を比較してみると、ほぼ同じであった。ただし、両者には違いもあり、フローニンゲンの方が日が長く、サンフランシスコの方が快晴の日が多いということだろう。

そのような取り留めもないことをぼんやりと考えながら、私は窓の外を眺めていた。 先ほど読み終えたフロムの書籍について、書き留めていないことがまだいくつかある。これはユングの個性化の問題ともつながってくるのだろうが、フロムも同様に、現代社会において個性化を果たすことがいかに難しいかを説いていた。

私たちの社会は、個人の集積体であるにもかかわらず、社会が保持する集合意識というのは、私たち個人個人の意識をたいていの場合凌駕している。つまり、集合的な意識を乗り越える形で個人としての意識を確立していくことは極めて困難なのだ。

やはり、社会の集合意識というのも一つのダイナミックシステムに他ならず、個人の意識の上に集合の意識を安易に重ねてはならないのだが、個人の意識の総和としての集合意識は、一つ一つの部分である個人の意識を圧倒するような力を持つ。この点に、個人が集合意識を超えて個としての意識を確立していくことの困難さを見て取ることができる。 現代社会において、私たちを取り巻く集合意識そのものが病理的な様相を見せはじめ、その病理は私たち一人一人に飛び火している。ここに現代社会を生きることの二重の苦しみがあるように思える。

こうした状況から個人として脱却し、そして集合意識の病理の解決にあたるためには、そもそも個としての自己を確立することが真っ先に求められるのではないだろうか。自らの中に個を確立しなければ、そもそも集合意識の渦から外に出ることなど不可能である。

また、個の確立がなければ、絶えず集合意識の枠組みを通じて発想しなければならず、それを俯瞰するような眼を持ち得ないがゆえに、そうした集合意識の問題に取り組むことなどもできないだろう。第二弾の書籍の中で私が訴えていた、「自らの声を確立する」という主題は、こうした問題意識と直結している。

フロムが指摘しているように、個であることを放棄した者は、社会や文化の枠組みに従順になって形作られる、人間の姿をした大量生産品に成り果ててしまうだろう。一方で、一つの個を確立することは、社会や文化の枠組みを超えて生きることを私たちに要求してくるがゆえに、必然的に孤独さを伴う。

しかし、こうした孤独さに屈してしまうと、私たちは自己を喪失する。そのようなことを考えると、一つの個を確立するということは、相当に厳しい道なのだと思う。

社会や文化の枠組みによる同質性から脱却し、それでいて孤独さに屈しない精神を持たなければならない点に難しさがあるのだ。しかしながら、現代を取り巻く社会的な病理とそれが派生して私たち一人一人に生じさせている病理に気づくとき、一つの個を確立するという過酷な道にもはや踏み出さざるをえないのではないかと思う。

さもなければ、この問題は解決に向かうどころか、問題がますます深刻化していくように思えて仕方ない。2017/7/7

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