今日も一日中、文章を読み、そして書くことを行っていた。読むことと書くことを通じて、時間の中をくぐっているような感覚が絶えずあった。
夕方、涼しい風が、窓から書斎の中に流れ込んできた。その風を全身に浴びながら夕食を摂り終えた私は、今日一日を少しばかり振り返っていた。
午前中から午後にかけて、ステファン・グアステロの“Managing Emergent Phenomena: Nonlinear Dynamics in Work Organizations (2002)”を読んでいた。先ほど、無事に一読を完了し、複雑性科学と組織行動論を架橋させるグアステロ教授の仕事には、いくつか自分の強い関心を引くものがあることに改めて気づいた。
本書を読み進める中で、イギリスの進化生物学者リチャード・ドーキンスが提唱した「ミーム」という概念を久しぶりに見かけた。ミームというのは、集合意識における遺伝子のようなものである。
別の表現をすれば、文化的な進化をもたらす情報遺伝子だと言えるだろう。ミームは社会で共有される情報であるがゆえに、この社会の至る所に存在している。
学校というのは生徒にミームを共有する——あるいは埋め込む——場であり、企業組織というのも同様の働きを持つ。また、一つの国や地域には、文化という固有のミームの集積体があり、その土地に身を置くことによって、固有のミームを自身に取り入れることになる。
米国で生活をしていた時以上に、自分の視点や観点の枠組みが変容し始めているのは、欧州という土地に固有のミームを私が自覚的に取り入れることによって引き起こされているものなのかもしれない、と思うに至った。
仕事をする場を変えると、それまでになかったようなアイデアが閃いたりするのも、もしかするとその場その場におけるミームの作用によるものかもしれない。つまり、ある場所から別の場所に身を置くことによって、既存の場所にはなかったミームが自分の発想に影響を与え、その結果として、これまでにない発想が思い浮かぶのではないかと思った。 ミームというのは、個人の意識に影響を与えるだけではなく、集合の意識にも当然ながら影響を与える。もともと、ドーキンスがミームに与えている意味というのは、文化的な進化をもたらす情報遺伝子としての意味である。
例えば、新たな企業文化を創出する際には、ミームを保持する組織の文化的枠組みそのものを変容させていく必要がある。そのプロセスは、個人の認識の枠組みの変容とほぼ同じであり、組織内に新たな知識や経験が注入され、既存の文化的枠組みでは対処しきれない状況を作り出すことが必要となる。
ジャン・ピアジェが提唱した「同化」と「調節」という概念を用いれば、既存の文化的枠組みで対処仕切れるような情報は、同化しかもたらさず、新たな文化が創出されることはない。一方、既存の文化的枠組みでは対処できれない情報が組織にうまく流入する時、調節が起こり、新たな文化的枠組みが芽生えてくる。
こうした情報遺伝子を組織内にもたらし、それをうまく循環させるのは、やはり内部の人間同士のコミュニケーションであり、内部と外部のコミュニケーションがカギを握るだろう。ミームについては、組織的・社会的なシャドーと関係する概念であるがゆえに、今後もこの概念についてことあるごとに触れることになるかもしれない。2017/7/5