1244. 大海原を飛ぶ一羽の白鳥と世界の儚さ


崇高さや美しさというよりも、一点の曇りもない静けさが内側の世界に広がっていくようであった。一羽の白鳥が、その羽根をゆっくりと羽ばたかせながら、大海原を優雅に飛んでいる姿を初めて見た。

大海原の上を駆け抜けていくそよ風が、海面に静かな跡を残すように、静かな感動のさざ波が私を襲った。そして、大海原を眼下に見下ろし、優雅に空を飛んでいる白鳥が自分であることに気づいたのはしばらくしてからだった。

そのような夢を何年か前に見たことがある。先ほど、昼食を摂りながらこの夢を思い出していた。

この夢を想起させるきっかけになったのは、食卓に流れるラフマニノフの交響曲第2番だった。私はいつもこの曲を聴くとき、とても不思議な気持ちに包まれる。

それは美しさを感じるその先にある、透き通った静けさをもたらす感情である。数年前に、夢の中にこの曲が流れ、私はこの曲と一体化するようなことがあった。

この曲と一体となった私は、自らが白鳥に変容し、大海原を優雅に飛び回る旅に出かけたことがあった。穏やかな大海原の海面に太陽光が反射し、海面がきらめいている姿を見た。

またそのきらめきが、海面の上を優しく駆け抜ける風によって動いている姿は、とても感動的だった。ラフマニノフのこの曲は、数年前の感動的な夢を再び私に見せてくれるかのようだった。

食卓の窓から外を眺めると、犬の散歩をしている女性の姿を見かけた。飼い主に連れられている犬はとても小さく、飼い主の一歩の歩幅に対して、何歩も何歩も次々と足を前に繰り出していた。

その様子は実に愛らしく、それを見ていた私から思わず笑みがこぼれた。そこでもまた、人間が生きていくこととは何なのかについてぼんやりと考えていた。

今この瞬間に聴こえているラフマニノフの曲のように、未来永劫にわたって残り続けるもの。その一方で、形になることなく消え去ってしまうもの。

それらの双方が、私たち一人一人の人生を支えているように思えた。私はなぜか、形になることなく消え去ってしまうものだけではなく、永遠を獲得したはずのものに対しても、儚さのようなものを感じていた。

この儚さは、否定的な感情や意味合いが伴うようなものではなく、それこそが人間の真の姿を表し、人間の仕事の本質を表しているように思えた。先ほど眺めていた小型犬の歩く姿は、私の内側に強い印象として残っている。

だが、それは儚く消え去ってしまうものに違いはない。一方で、それを言葉の形としてここで書き留めたがゆえに、それは永遠に至る資格を獲得したかのように思える。

確かに、私が感じていた印象は文字として永遠に残るだろう。しかしながら、永遠性を獲得したかに思える文章が、対象とした現象が自分の内側を通り過ぎていった際の儚さと同質の儚さを引き起こすのは何故なのだろうか。

形のあるものも形のないものも、永遠のものも一瞬のものも、それらが等しく儚さを引き押すことの背後には、全てのものが儚さを本質に持っているからではないかと思った。

この世界は儚さから生まれ、儚さで作られているのかもしれない。2017/7/1

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