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1210. 発達・学習と無意識:インナ・セメツキーの論文より


起床直後のフローニンゲンの空は、薄い膜がかかっているかのように曇っていた。今日は、午前中の仕事を終えたらランニングに出かけようと思っていたため、天候が少しばかり気になっていた。

昨日は雷雨に見舞われたがゆえに、その印象が私の内側に残っていた。天気予報を確認すると、今日は雨が降ることはないということだった。

早朝に、教育哲学者のインナ・セメツキーが執筆した洞察に溢れる論文を読んでいた。タイトルは非常にシンプルであり、 “Learning from the Unconscious”というものだ。

私が初めて、無意識が学習に果たす役割と意義について自覚的になったのは、ジョン・エフ・ケネディ大学に留学していた頃だったように思う。「非日常意識」というコースを履修していた際に、クリストファー・バチェの “The Living Classroom: Teaching and Collective Consciousness (2008)”が必読書となっており、その書籍から大きな感銘を受けた。

また幸いにも、そのコースを担当していた教授とバチェが知り合いであったことからも、コースの最終回にスカイプを通じてバチェ本人と話すことができた。バチェの書籍から、学習にふさわしい集合意識をいかに学習者と構築していくか、ということを学んだように思う。

学習は教室空間の中だけで完結するものではなく、教師と学習者が構築した集合意識の中で絶えず行われるものなのだ、という気づきを得たことが懐かしい。セメツキーの論文を読みながら、バチェの書籍の内容についてそのようなことをふと思い出した。

セメツキーのこの論文の中で最も印象に残っているのは、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの学習観である。それは、「学習観」と言うよりもむしろ、「人間の意識の発達観」だと述べた方が正確かもしれない。

私が毎日、自分の夢について書き留めていたり、日々の雑多な思念や感覚を文章の形に記録していることの新たな意味がもたらされたように思う。「全ての人間は発見されるべき内的宇宙をそれぞれ持っている。しかしそれは、辿ることを通じて発見されるものなのだ」というドゥルーズの言葉は、大きな共感と共に、この言葉の持つ洞察の深さにハッとさせられるものがあった。

確かに私たちは、各人固有の内的宇宙を持っているのだが、それは生涯発見されることなく、私たちの意識の深層に眠ったままになっていることがほとんどだろう。なぜだか私は、奇妙なほどに、自分の内的宇宙はどれほどまでに開くのか、ということに多大な関心を寄せている。

また、現段階における自分の内的宇宙の様子や構造がどのようなものなのかに対して、恐ろしいほどの関心がある。そうした関心を満たすために、私が採用した手段は、現時点で見ることのできる自分の内的宇宙を文章で記述していくことだった。

これを行えれば行うほど、不思議な現象が自分を襲うようになった。それは超常現象のようなものでは決してなく、内面宇宙の絶え間ない生成に触れるような感覚である。

そのように絶え間ない形で次々と浮かび上がってくる思念や感覚を捉えれば捉えるほど、少しずつ自分の内的宇宙の姿を把握できるようになっている気がするのだ。これはもちろん気のせいかもしれないが、確かなことは、発見を待つものが発見されたという実感が私にもたらされているということである。

ドゥルーズが指摘するように、人間意識の発達は、ひょっとすると、辿ることの中にあるのかもしれない。ここ最近の私にはどうも、発達というものが、無意識に触れる形で、無意識を通じてなされるようなものに思えて仕方ないのだ。2017/6/23

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