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1209. ライデン訪問記:「スピノザ記念館」を訪れて


昨日は、一昨日のライデン訪問について多くの日記を書き留めていたにもかかわらず、それでも書き切れないことがいくつか残っていた。その一つは、スピノザ記念館を訪問したことについてである。

国立古代博物館を後にした私は、その近くの古書店に足を止め、二つの貴重な文献を購入することになった。そこで長居をしてしまっため、古書店を出発した私は、足早にスピノザ記念館に向かった。

古書店からスピノザ記念館までは、歩いて一時間ほどであり、バスが運行していることも知っていたのだが、私はライデンの街を歩いて見て回りたいと思っていたため、結局、歩いてスピノザ記念館に向かうことにした。

その日のライデンの気温は高く、歩いている途中から汗がこぼれてくるようになった。記念館に向かうまでの道なりに、小洒落た家々が立ち並んでおり、街路樹の木々と見事な調和をなしているように思えた。

街の作りとしても、やはりフローニンゲンとはどこか異なっており、それが新鮮であった。終始辺りを見回しながら歩いていると、無事に目的のスピノザ記念館に到着した。

ウィーンにあるベートーヴェン記念館「ハイリゲンシュタットの遺書の家」と同じように、閑静な住宅街の一角に、ぽつんとスピノザ記念館がたたずんでいた。それは、低い二階建ての家であり、大きさはとてもこじんまりとしたものだった。

道沿いの壁にプレートが立てかけてあり、スピノザ記念館だということが一目でわかった。しかし、入り口らしきドアがあるのだが、それは外から開けることができず、家を一周する形で入り口を探した。

すると、中庭にスピノザの銅像が置かれていることに気づいた。銅像の周りには、緑が生い茂っており、銅像に近づこうとすると、銅像の横の草に蜘蛛の巣が張られていることを目撃した。

私はしばらくその場にたたずみ、この家で思索活動に打ち込んだスピノザについて思いを馳せていた。短い時間が過ぎた後、私は帰りの時間が迫ってきていることを思い出し、我に返った。

そして、その瞬間までの我はどこにいたのか?我を感じていない時の我は何者なのか?という疑問にぶつかった。その疑問を抱えながら、私はスピノザ記念館を一周し、ある窓の外から内側を覗くと、館長らしき人物がいたので、窓を叩き、入り口は表のドアなのかを示すジェスチャーを示した。

すると、館長は笑顔で頷いたので、私は再び表の入り口に向かった。やはり、最初に入り口だと思ったドアから記念館に入るようになっており、館長が内側からドアを開けてくれた。

後から知ることになったが、先客としてトルコ人の夫婦の哲学者が館内を見学しており、館長は二人に館内を案内することで手いっぱいだったようだ。私が記念館に入ってからも、館長は二人の案内を続けており、「入館料の支払いは後でいいので、ゆっくりと館内を見ていてください」と私に伝えた。

その言葉に従い、私はゆっくりと展示資料を見て回った。ここは小さな記念館であるがゆえに、展示資料はそれほど多くないのだが、「スピノザ研究者にとっての聖地だ」と後から館長が指摘するように、スピノザゆかりの貴重な資料が所蔵されている。

中でも私は、一つの展示資料の中にあった、「彼は自らの言葉を紡ぎ出すことによって神を生み出し続けた」という、アルゼンチン人作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスがスピノザを表現した言葉が強い印象を私に与えた。

その言葉が、私の内部に静かに染み渡っていくのを感じていた。その後、スピノザが思索活動に打ち込んだ書斎に行き、スピノザが実際に読んでいた書物が陳列された本棚を見つけた。

本棚のガラス越しに、時の経過を知らせるような重みを感じた。ガラスの向こう側に陳列されている書物は、重厚な響きを放っているように思えた。

一階に所蔵されている資料を全て見た後、私は二階に行くために古びた階段を上った。二階に到着すると、それは屋根裏部屋と形容できるほどの大きさであった。

そこで展示されていた資料の一つに、アインシュタインの自画像があった。後から館長に話を伺ったところ、アインシュタインはスピノザを敬愛しており、毎年この記念館を訪れていたそうだ。

また、アインシュタインは実際に、駆け出しの物理学者の頃、ライデン大学に在籍していたことがあることを思い出した。きっとその時のアインシュタインは、この記念館を度々訪れたのだろう、という想像をしていた。

トルコ人の哲学者夫婦が去った後、私は館長から一対一でスピノザについて、そしてこの記念館について話を伺う機会を得た。ただし、帰りの時刻が迫っていた都合上、長居をすることができなくて残念であり、来年またこの記念館を訪れる旨を館長に伝えた。

私は決してスピノザ研究者ではないのだが、ライプニッツと同様に、スピノザには何か私を引きつけてやまないものがあり、記念館で販売されていた五つの論文集——“Leibniz and Spinoza” “Spinoza Research: To Be Continued” “Spinoza and the Idea of the Secular” “Spinoza as an Economist” “Points of View and the Two-Fold Use of the Principle of Sufficient Reason in Spinoza”——とデン・ハーグの街とスピノザの関係がわかる書籍を購入することにした。

帰りはバスに乗車しようと思っていたため、その時間が迫っていることに気づいた私は、館長にお礼を述べ、論文集と書籍をカバンにしまうことをしないまま、走ってバス停に向かった。 改めて一昨日のことを振り返ると、やはりもう一度、スピノザ記念館をゆっくり訪れたいという思いが込み上げてきた。どうやら館長は、来客の一人一人に館内の案内をしているらしく、ぜひ次回にまたゆっくりと話を聞かせて欲しいと思った。

この夏、スピノザという存在は、私にとって少しずつ近しい存在になっていくだろう。2017/6/23

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